令和元年神無月吉日、長野県安曇野の有明山を御神体とする有明山神社に参拝しました。天岩戸伝説で手力男命が投げ飛ばした岩が有明山になったと伝わります。
裕明門
明治三十五年(1902)建立
彫師 東筑摩郡松本町 立川流 清水虎吉
ぐるりと十二支が彫ってあるので、最初のネズミが彫ってある右面(北面)から正面(東面)・左面(南面)・裏面(西面)・通路という順に見ていきます。
右面(北面)
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二重虹梁の間では力神さまが屋根を支えています。なかなかタフな顔つきです。
ネズミが乗っているのは大根ですかね。先が三つに割れていて、なんか味があります。下の獅子は初代・三平がどうもすみませんってやってるみたい。←古い!
ウシ。その下には獅子。この人の彫り物は力神も獅子も手足が少し大きめ。
正面(東面)
正面左側にはトラ。その下には獅子の子育て。
門の正面中央には立川流のシンボル・「粟穂に鶉」が誇らしげに配置されていました。一番上の太鼓羽目には、少し見えづらいですが麒麟が二頭。
左側にはウサギ。その下には鞠と獅子。
左面(西面)
こちらの面にも力神さま。
右側のタツ。その下に牡丹を咥えた獅子。
左にはヘビ。獅子の下の梁に彫ってある波の模様も洒落た感じですね。
裏面(西面)と通路
右側にウマ。その下の子壁には鉄拐先生こと李鉄拐(りてっかい)。
十二支を順に追っているので、ちょっと変則的になりますが、門裏面の左側に行く前に通路に行きます。
通路内の子壁は二十四孝から。南側右は楊香(ようこう)が自らの身を挺して虎に立ち向かう場面。楊香の顔がディズニーキャラクターか何かみたい。本当に明治の人が彫ったのだろうかと思ってしまう。その上にはヒツジ。
その左にはサル。その下は郭巨(かくきょ)。老親に食べさせるものが無くなった貧乏な夫婦が、口減しの為に赤ん坊を埋めに山へ行って穴を掘ったら宝物が出てきたという結構無茶な話。
今度は反対北側右のトリ。小壁には唐夫人。歯が無くて物を食べられない姑に嫁が乳を吸わせる話。右端には、びっくりした!ってポーズの子供。祖母さんがお袋の乳吸ってたら、そりゃ誰だってビックリしますわ。
左側にはイヌ。小壁には老莱子(ろうらいし)。老莱子というのは年老いた両親を楽しませる為に七十歳を過ぎても戯けたり赤ん坊のフリをしたりした人の話。
再び門の裏面に戻って、左側にイノシシ。その下の小壁には鉄拐先生と対になる事が多い蝦蟇仙人こと劉海蟾(りゅうかいせん)。
門裏面中央の彫り物は松に鷹。上の雲と下の波の意匠が素晴らしいっす。
また通路に入ると鷹の裏側には猫がいました。猫には菊を合わせるんですね。
天井には村田香谷(むらたこうこく1831−1912)の画がありました。案内板によれば七十余歳の最高傑作だそうです。
通路東側、つまり正面の「粟穂に鶉」の裏には紅葉に鹿。
案内板には彫り物の題目・棟梁・彫師の他、錺師や左官、木材請負の名前までありました。ここまで詳しい物を公開しているのは中々無いです。
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拝殿・手水舎合わせて素晴らしい彫り物を堪能できました。
刺青師・龍元
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