令和四年五月上旬、東京都大田区の御園神社に参拝しました。
創建年代不祥
境内がしゃもじの形に似ていることから「おしゃもじ様」と呼ばれ村民の崇敬を集める
明治二十年(1887)東海道線敷設のため境内地を収容され遷座
明治二十一年(1888)御園神社と改称
昭和二十年(1945)戦災のため焼失
昭和三十五年(1960)現社殿と社務所が竣工
御祭神 猿田彦命 天宇受売命
拝殿向拝には特に彫り物は無く、左側脇障子に鯉の滝下りがありました。
右側脇障子は当然、鯉の滝登りです。
残念ながら御本殿には彫り物はありませんでした。
境内社
境内社は三社ありました。御園神社が昭和三十五年の竣工なので、境内社はそれと同時かそれより後の造営でしょう。
お福神社
扁額には「お福神社」とあり、その横に「おしゃもじ様」と書かれているので、御園神社の元々の御祭神を祀っているのかも知れません。
三方にしゃもじが供えてあります。残念ながら胴羽目はありません。
左側脇障子の唐獅子牡丹。随分と簡略化された感じ。
向拝の龍。木鼻の獅子も民芸品みたいな感じです。
正面扉脇の龍。
右側脇障子。
榮龍神社
お福神社の右隣に鎮座します。
こちらも脇障子は唐獅子です。お福神社の彫り物と比べると熟れた感じがします。
左面胴羽目は唐獅子牡丹。
正面扉脇の龍。お福神社の扉脇の龍に比べると随分熟れていますが、デザインが似ています。同門の違う人か、同じ人が上手くなったのか、工賃の違いか。
向拝の龍。
右面胴羽目の唐獅子牡丹。
右脇障子。
伏見稲荷神社
一番手前には伏見稲荷神社がありました。
一番豪華な感じがします。
兎ノ毛通しは鳳凰です。
向拝の龍。明らかに榮龍神社と同じ人の龍と思われます。水引虹梁には亀の彫り物が引っ掛けてありますが、これは木階蹴込み板にあった物だと思います。
扉脇には登り下りの龍。扉には狐です。扉に彫り物があると豪華に見えます。
胴羽目もありました。
左胴羽目は獅子の子落とし。
脇障子の狐です。
右胴羽目の子獅子はこれから千尋の崖を登る所でしょうか。
ここの前に参拝した鹿島神社からは電車で一駅、自転車ではグーグルマップによると17分。ポートもすぐ近くにあるし、ドコモバイクで行っちゃえ!と、挑戦しましたが、車道は車がビュンビュン走ってるし、歩道は歩行者が一杯。裏道に入ったら道を間違えて、結局40分も掛かってしまいました。
そうか、ウーバーの人を見るとハンドルに携帯電話ホルダー付けてナビ見ながら走ってるよな。
刺青師・龍元
065(2022.05.10)
コメント
onijiiです。
昭和の彫刻は珍しいですね。
ヘタウマっぽいのもありますね。
自分は好きです。(笑)
江戸、明治時代以降の彫刻は、鹿沼市の
弁財天で遭遇したのみです。
こちらは素人感満載でした。(笑)
江戸、明治時代の彫り師のレベルの高さ
がよく分かります。
ホントですよね。まず職人の人数と仕事量が今と違いますね。沢山いる職人が技術を競いあって、年季積んで、それを弟子に伝えて行く。まさに伝統の職人技ですね。
私は八千代市の熊野神社で平成の作品を見た事が有ります。中々上手くて、今でもこれだけ彫れる人が居るんだなぁと感激しました。
こんばんは。
タイトルを見て四社全てにすごい彫刻があったのかと思ってしまいました。やはり空襲で多くの神社が焼けてしまったんでしょうね。境内社三社まで再建するとは素晴らしい信仰心ですね!
本日熊谷市の上新田諏訪神社の御本殿が特別公開に行ってきました。ついでに数社回ってきた中の一つ、熊谷市万吉の氷川神社に彫刻がありました。説明板によると昭和二十年の熊谷空襲で焼失後、昭和二十三年に再建されたようです。李白や浦島太郎などけっこう見事な彫刻で驚きました。
既知の情報でしたらすみません。
情報ありがとうございます‼︎ 知りませんでした。近いうちに行ってみます。
タイトルは期待させてしまってすみません。まずは見て貰いたいのでチョット大袈裟にしちゃいました。
ここら辺は東京大空襲で辺り一面焼け野原になったらしいですよ。再建するのに15年掛かってますね。大変だった事でしょう。頭が下がります。