最近は刺青図柄解説や神社の彫り物についての記事ばっかりになってしまってます。ブログを読んだお客さんからは「良く知ってますねー」なんて言われたりしますが、刺青については専門ですから当然としても、神社の彫刻については、まあ好きなんで、色々調べたりしてます。
宮大工
私が17才の頃に働いていた会社の社長のお父さんが生前、浅草で宮大工の棟梁をやっていて(その社長は宮大工ではありません)、そこで働いていた職人さんに何度かお寿司をご馳走になった事があります。当時もう既に宮大工の仕事はあまり無くて、その人は小物入れや寄木細工の様な物を作っていた様ですが、社長は
「この人は本当だったら一仕事ウン百万円の職人なんだよ」
なんて言ってました。でも当時の私の宮大工の認識は「クギを使わない大工」くらいのモノでした。
装飾彫刻との出会い
実際の装飾彫刻と私の出逢いは20代半ば、刺青の師匠に連れて行って貰った柴又の帝釈天です。それ以来、刺青の表現に行き詰まった時には帝釈天やその他雑誌で見た神社などに出掛けて勉強していました。
師匠にやって貰ったのと同じ様に、私も弟子の彫鈴を神社に連れて行ったりしている内に、彫鈴が一冊の本を持って来ました。若林純という写真家の写真集「寺社の装飾彫刻」です。
これで一気に幅が広がって2人で各地に出掛ける様になり、最初は刺青の勉強のために龍や鳳凰・獅子を見るのが主な目的だったのですが、色々見ている内にすっかり胴羽目彫刻の虜になりました。
胴羽目というのは、神社の本殿の壁にはめてある大きな羽目板の事で、一番大きくて物語性のある画題が彫られていて見応えがあります。
刺青との共通点
寺社彫刻は刺青と一緒で、「何が彫られているのか」つまり、「画題の物語や云われ」が分かると俄然面白くなって来ます。
神社正面の向拝や木鼻が刺青の腕や脚だとすれば、胴羽目は背中一面、お腹一面に相当します。
各地を回ったりネットで調べたりしていると、寺社彫刻の事を半ば呆れ気味に、江戸時代に流行した無用の長物と考えている人達がいる様に感じます。確かに寺社彫刻はワビとかサビとかの対極にある物ですし、信仰や信心には全く関係ありません。
刺青も生きて行く上では全く必要ありません。もう要らないからと売る事も出来ないし、現在の日本では生きる上で障害になる事は有っても、助けになる事はほとんどありません。ただの贅沢です。
でも、文化というのはそういう物だと思います。
廃れていく江戸文化
寺社彫刻の文化は、今はもう廃れてしまったと言っても良いくらいにひっそりと、文化財の修繕や祭りの神輿や山車などで受け継がれているだけに見えます。
浮世絵もそうですが、寺社彫刻も刺青も江戸時代末期の爛熟時代に花開いた、日本人が世界に誇れる文化です。
「百年くらい前にさ、刺青って言う痛いだけの無駄なものが世界的に流行した事があったんだよ」なんて百年後の人びとに言われない様に、しっかりと日本の刺青文化を後世に伝えて行きたいと考えています。
この本も彫鈴が買ってきてくれました。彫刻の意味や由来などが解説してあり、とても勉強になります。本当にどっちが師匠なんだか分かりません。
刺青師・龍元