令和四年一月中旬、埼玉県越生町の大宮神社に参拝しました。
ここは三年前にも参拝したので再訪です。当時の記事は非常にあっさりとしています。
鳥居は撮り忘れたので三年前の写真を流用しました。
文武天皇元年(697) 創建
文久三年(1863) 本殿再建
祭神 猿田彦命 天鈿女命
御本殿は玉垣と庇で保護されていますが、屋根自体は御本殿の屋根です。。
立派な御本尊です。
右面
胴羽目と腰羽目に見事な彫り物があります。
胴羽目は大己貴命の大鷲退治です。
鷹の頭の精密さに痺れます。
面構えが堪りません。顔が肩にめり込んでますが、これは浮き彫りならではの表現ですね。
多分この人が大己貴命だと思います。服には柄が彫られています。
腰羽目には、母を養う為に口減らしに子供を埋めようとする二十四孝の郭巨。黄金の釜を掘り当てて嬉しそうです。
子供を埋めずに済んだので、天に感謝の意を表する奥さん。
妻飾りには応龍がありました。
背面
脇障子は両側とも欠損です。
胴羽目は天岩戸。皆で楽しく踊って、岩に隠れてしまった天照大神を誘い出そうとする話。
記紀ではこの場に居ない筈の猿田彦命。やや!腹部にイタズラ書きが!
岩の前で踊り狂う天鈿女命。こちらにもイタズラ書き。ヒドイです。神社の彫り物を一体なんだと思っているのか!
腰羽目には二十四孝。母の為に真冬にある筈のないタケノコを探す孟宗。孝心に感じて天がタケノコを生やして下さいました。
真冬に生魚を食べたいという母の為に凍った川の氷を体温で溶かして魚を捕らえる王祥。この頃の中国人は刺身を食べてたんでしょうか。
左面
胴羽目は須佐之男命の八岐大蛇退治です。
八岐大蛇です。ヤマタノオロチとは言っても刺青や彫刻では頭一つの龍が描かれる事がほとんどです。
大上段の構えの須佐之男命。
奇稲田姫も落書きがヒドイ事になってます。最近やられたのかと思って3年前の写真を見てみたらしっかり写っていました。全く気が付きませんでした。
一体どこを見ていたのかと思いますが、腰羽目の二十四孝なども写真を数枚撮っただけでした。当時は全く興味が無かったのか。
胴羽目の枠には「當国熊谷住 小林齋熊山橘正信」という銘がありました。
案内板によると、小林一門三代目、小林丑五郎と推定されているそうです。小林丑五郎は群馬県太田市の阿久津稲荷神社御本殿の彫り物製作に携わった人です。
こちらも腰羽目は二十四孝。2枚1組で董永です。奴隷になる条件でお金を借りて父親の葬式を出した董永。その孝心に感じてた天帝が織姫を遣わし、布を織って借金を全額返済します。
2人は愛し合う様になりますが、天の掟により織姫は人間と一緒になる事は出来ず、泣く泣く帰って行く感動の場面。天の羽衣伝説の変形とか原形とか言われているみたいです。
こちらも妻飾りには応龍です。
それにしても、このイタズラはヒドイです。やった本人は深い事を考えずにトイレの落書きみたいな感覚でやったのかも知れませんが。
刺青師・龍元
034(2022.03.01)
コメント
onijiiです。
写真が鮮明になりましたね!
それぞれの顔が素晴らしいです!!
アップの写真は彫刻鑑賞の醍醐味!!!
江戸時代から何百年も大事に守られてきた
貴重な文化遺産に落書きするとは・・・。
きっと罰が当たると思います。
3年前は神社の彫刻に全く関心がありません
でしたが、今ではどっぷりとハマってます。
愛車は2年間に10万キロ以上乗りました。(笑)
マジックの落書きは年月が経てば消えるので、尖った物で彫り込むのに比べれば、まだ致命的ではないですね。
10万km!凄いですね!ガソリン代掛かりますね、特に最近は。
私は現地に行ってしまえば、10社周っても4〜50kmなんて事がありますね。それもこれもonijiiさん始め、寺社彫刻情報を教えて下さる方々の地道な努力のお陰です。本当にありがとうございます
m(__)m