唐子

神社仏閣

新年大特集 みんな大好き力神さま!!

「力神とは、力士のような太い体をした人像で、神社の持送りの山車や壇箱などに登場します。霊的面では悪霊から守る役割を担っており、神社の狛犬や獅子のような役割を担っています」
神社仏閣

五人の孝子 [丹生神社] 千葉県

最初は変だな大袈裟だなと思っていましたが、色々な彫師の様々な解釈に触れている内に、その奥深さに惹かれて行きました。
神社仏閣

硝子板の向こうに鎮座する御本殿 [幕張総鎮守 子守神社] 千葉県

十牛図では牛飼いは自己、牛は真の自己を表していて、騎牛帰家とは「心の平安が得られれば 牛飼いと牛は一体となり 牛を御する必要もない」という意味です。全く意味が分かりません。
神社仏閣

加藤清正の虎退治が圧巻です [三嶋神社 其の二] 千葉県

背面胴羽目の加藤清正は圧巻ですが、その他 小さな彫り物に至るまで、素晴らしいの一言に尽きます。
神社仏閣

実籾駅から約2429歩 消費カロリー約84.0kcal の場所に鎮座する [三嶋神社 其の一] 千葉県

外れて落ちて粉々になってしまっている胴羽目を見掛ける事がありますが、ここの胴羽目はどうなんでしょう?
神社仏閣

表情豊かな彫り物 [八幡宮 光明院境内社] 千葉県

追記しました(2024.10.07)。始皇帝の暗殺に失敗した張良は下邳に身を潜めていた。ある日、橋の袂を通りかかると汚い老人が靴を橋の下に放り投げた。「おい若いの、下りて靴を取ってこい」張良は殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。「その靴をはかせろ」張良は「すでに拾ってきてやったんだから」と考え、老人に靴を履かせた。「5日後の早朝ここに来い」5日後の朝、日が出てから張良が行くと、老人は既に来ていた。「目上の人間と約束しながら遅れるとは何事だ、帰れ。また5日後早朝に来い」5日後、張良は夜中に家を出たが、既に老人は来ていた。「遅れるとは何事だ、帰れ。あと5日したらもう一度早く来い」次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は張良に一編の書物を渡し「これを読めば王者の師となれる。」授かった書は太公望の兵法書で、張良は不思議に思いながらもこの書を繰り返し誦読したという。後に張良は軍師として劉邦の天下統一を助け、漢の三傑と呼ばれた。
神社仏閣

源太郎彫 三国志の英雄と仙人たち [町田坊観音堂 其の二] 群馬県

寺社彫刻は 雨風や鳥糞に晒されてしまってますが いつでも誰でも そこに行きさえすれば 何回でも何時間でも 色々な角度から鑑賞できるのが良い所です。追記あり(2024.10.29)
神社仏閣

源太郎の龍宮玉取姫 [町田坊観音堂 其の一] 群馬県

向拝に置かれた 躍動感のある見事な龍宮玉取姫の彫り物は、さまざまな角度から見応えがあります。追記あり(2024.10.29)
神社仏閣

花輪村 星野甚右衛門 (慶助升輿)の彫り物 [武尊神社 其の二] 群馬県

外陣にはぐるりと回された欄間に素晴らしい彫刻がありました。特に内外陣境欄間の十六羅漢は見応えがあります。追記あり(2024.09.20)
神社仏閣

後藤功祐の彫り物 [飛川神社 其のニ] 山梨県

後藤功祐 幕末-明治時代の彫刻家。天保のころ後藤富五郎に彫刻をまなぶ。明治10年(1877)内国勧業博覧会に置物を出品。宮彫系の木彫師として活躍。靖国神社神鏡の額縁などを制作。家具も手がけた。江戸出身。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤功祐」の解説より)
神社仏閣

小沢半兵衛の彫り物 [高下諏訪神社(姫宮神社)] 山梨県

厳重な覆屋には苦労しますが、名工・小沢半兵衛の緻密で流麗な彫り物を鑑賞する事ができます。
神社仏閣

かつては眩かっただろう寂れた彩色彫刻 [とある社 其の五] 関東

画題に統一感が無いのが難と言えば難ですが 彫刻の完成度が高く 彩色の寂れ具合も良い感じで 素晴らしい社です。追記あり(2024.07.06)
神社仏閣

詩仙と唐子 [とある社 其の二] 関東

望廬山瀑布(廬山の瀑布を望む)日は香炉を照らして 紫煙を生ず遥かに看る瀑布の 前川に挂かるを飛流直下 三千尺疑うらくは是銀河の 九天より落つるかと
神社仏閣

猛禽高砂司馬温公 [八幡神社] 千葉県

玉垣とかなりしっかりした庇に護られている御本殿には、派手ではありませんが、胴羽目・脇障子・組物間などに彫り物があります。
神社仏閣

左右胴羽目義経繋がり [高野神社] 千葉県

向拝は見事な龍で飾られ、左右胴羽目には牛若丸伝説、背面胴羽目には日本神話に取材した素晴らしい彫り物があります。
神社仏閣

秩父三大牛若神社と勝手に呼んでいる内の一社 [宇根八坂神社 其の一] 埼玉県

ここの牛若丸の胴羽目は、猿田彦神社の胴羽目や、その前に参拝した社号不明神社の胴羽目ともそっくりなので、似た胴羽目が三社にある事になります。同じ彫師かどうかは 私には分かりませんが 社号不明神社の武内宿禰も ここのと似ていると思います。
神社仏閣

重要文化財附指定 [機神神社(桐生天満宮境内社)] 群馬県

彫刻満載の御本殿を気持ち悪いと感じる人がいる様ですが、この角度で見ると まあ分からないでもない様な。。。壁から龍の頭がニョキニョキ生えていて、エイリアンの映画を思い出します。
神社仏閣

関口文治郎の見事な彫り物が堪能出来ます [桐生天満宮 其の二] 群馬県

御本殿胴羽目も素晴らしいのですが、腰羽目や幣殿の彫り物も名工の妙技が光ります。
神社仏閣

唐子が戯れる [神梅神社] 群馬県

早朝からジリジリと照り付ける太陽。今年の梅雨明けは7月22日でしたが この日 私は気象庁に先駆けて梅雨明けを(勝手に)高らかに宣言しました。
神社仏閣

疫病退散 [為朝神社(武田八幡宮境内社)] 山梨県

身長七尺(2m10cm)を超える大男で、五人張りの強弓の使い手。暴れ者で兄達に対しても傍若無人だったため、13才の時に勘当され九州へ追放されるが、僅か3年のうちに九州を平定してしまう。崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱 (1156) では上皇側についた為に敗北、朝敵として伊豆諸島に流される。ここでも暴れ回り事実上、伊豆七島を支配するようになるが、最後には討伐の院宣が降り、負けを悟った為朝は自害した。享年32才。疫病神も恐れるほど強かったので疱瘡除けのお札になった、鞍もろとも鎧武者を射通して串刺しにした、一矢で300人乗りの軍船を沈めた、などの伝説や武勇伝は枚挙にいとまがない。追記有り(2023.06.11)