飯高神社 其の一 からの続き
玉垣には左右に大きな門があり、右側の門が解放されていて玉垣内に入れる様になっていました。
宝暦七年(1757)本殿彫刻制作
本殿彫師 前林善右衛門
向拝
向拝中備には仙人たちの彫り物がありました。
向かって左は「王質」または「爛柯」「仙人の烏鷺」。木こりが仙人たちの囲碁を観戦していたら、いつの間にか斧の柄が腐るほど時が経っていた、という不思議な話。
中央は「馬師皇」。その名声は天まで聞こえて龍が診てもらいに来たという馬の名医。
向かって右は、虎をボディガードにした伝説の名医「董奉」。お金は取らず、杏を植えさせたそうです。
右面
大虹梁上には「布袋尊」の彫り物。だいぶ出来上がっている様子。
大きい胴羽目は彫りが浅い傾向にありますね。
左側の胴羽目は生命を司る「西王母」。
右側胴羽目は変わり者の「寒山と拾得」。ウィキペディアによると風狂の僧だそうです。
背面
向かって左側胴羽目。蝦蟇仙人こと劉海蟾。16歳で科挙の試験に合格した秀才。呂洞賓に出会い仙人になりました。
かつて陜西省の太華山と少華山はひとつだったが、「巨霊人」が山を二つに分けて黄河がまっすぐに流れるようにした、らしい。
蕭史か?と思ったけど、鳥は鳳凰じゃなくて山鵲っぽい。それに蕭史は左面にあるので違うと思います。
左面
大虹梁上には大黒天。
左面左側は鳳凰を呼び寄せる事ができる「蕭史」。蕭史は蕭という楽器を吹いているもの、と思っていましたが、三才図絵の蕭史は縦笛を吹いています。 〜追記(2022.05.08)蕭(簫とも書く様です)というのは東アジアの縦笛、笙というのは雅楽で使われ、違う楽器ですが、蕭史はどちらの場合もある様です。 追記終わり〜
右側の胴羽目は梅と鶴をこよなく愛する「林和靖」で間違いないと思われます。
脇障子は両側とも鶴亀でした。
刺青師・龍元
287-02(2020.12.16)
コメント
onijiiです。
こちらの神社はSさんに教わった芝山町の
高野神社の力神の確認時に、足を延ばして
行きました。
あまりの数によく見てませんでした。
写真で見ると、中々味わい深いですね。
あまり数があると疲れてしまいますよね。
ここの玉垣には屋根が付いていて、欄間は下から覗き込まないと見えなかったので、写真を撮る時はスクワットをしなければならず非常に疲れました。