令和二年十一月、埼玉県草加市の東福寺に参拝しました。
御縁起
真言宗智山派 東福寺
慶長十一年(1605)創建
本堂再建
文久二年(1862)鐘楼建立
元治二年(1865)山門建立
御本尊 阿弥陀如来像
本堂内外陣境欄間彫師 嶋村円哲
本堂向拝彫師 後藤直光
山門彫師 後藤常重
本堂
ここへは嶋村円哲の欄間があると聞いてやって来たのですが、向拝の龍も凄いです。それもそのはず、彫師は名門・後藤直光。何代目かは分かりません。後藤直光は元々仏師の流れでしたが、明治の廃仏毀釈の煽りを受けて神輿に転向、千葉で最近まで神輿を作っていた様ですね。
この時には気付きませんでしたが、よく見るとこの龍、爪が5本あります。普通、龍の爪は3本ですが、中国では龍の爪は5本で、昔は皇帝のみが五爪龍の紋章を身に付ける事ができたそうです。
繋虹梁上にも龍がいました。こちらは巻き毛の龍。私の好みです。
さて、本命の嶋村円哲は本堂内外陣境の欄間です。嶋村円哲というのは、嶋村俊元の長男です。エンテツのテツの字が鉄になっている事もあります。
もちろん、中へは入れないのでガラス越しです。
向かって左側の欄間は二十四孝の董永。左下に「彫工嶋村」の銘があります。
中央は龍。んんん〜、それ程カッコよくない。
向かって右側の欄間は二十四孝の大舜。
本堂内欄間なので保存状態は極上ですが、あの照り具合はイマイチですね。やっぱり少し寂れていた方が。。。保存には屋内が良いと言ったり、イマイチと言ったり、スミマセン (^^;;
〜追記(2021.10.27)銘は嶋村しかないし、作風も違う様な。。。円哲は元禄元年~享保五年(1688年~1720年)頃に活躍したらしいので、本堂が再建された文政七年(1824)の百年位前の人です。古いの取り付けたのかな?追記終わり〜
鐘楼
文久二年(1862)建立の鐘楼にも見事な龍がありました。こちらは残念ながら彫師不詳。
4面全てに子引き龍がありました。
どの龍も素晴らしく、本堂に劣らない名工の作と思われます。
山門
元治二年(1865)建立の山門にも見事な彫り物がありました。彫師は後藤常重。後藤流の人でしょうか。
梁の上の表と裏にある彫り物は、真言宗のお寺なので開祖の空海についての伝説の様です。空海というのは弘法大師の事ですね。
空海と童子。
童子と龍。
文殊菩薩。
弘法大師は伝説が多く、ググるとまさにぴったりな話を見つけました。画題は「流水点字」
童子に言われるままに空海が流水に詩を書くと、文字は崩れずに流れ去った。今度は童子が点の欠けた龍という文字を書き、最後に点を付け足すと本物の龍になって飛び去った。この童子は実は文殊菩薩であった。という話。
こちら↓は裏側。画題は「投擲三鈷」
空海帰国の日、明州の港で『密教を伝えるのにふさわしい場所へ』と祈願して、三鈷杵を空へ投げると紫色の雲に乗って日本の方角へ飛んでった、という話。
三鈷杵を投げた空海。
雲に乗って飛んで行く三鈷杵。波の表現が秀逸です。
真言宗総本山の高野山には、その三鈷杵が引っ掛かっていたとされる松の木「三鈷の松」があるそうです。
円哲も悪くなかったですが、後藤直光や後藤常重、作者不詳の鐘楼の龍も素晴らしかったです。
ただ、お寺さんの彫り物は極端に横に長いので、ブログ向きじゃないんだよなぁ。スマホで見ると小っちゃくなっちゃうし。
刺青師・龍元
266(2020.11.23)
コメント
onijiiです。
5本指の龍は珍しいですね!
欄間の照りは、何か不自然な気が・・・。
劣化している方が歴史を感じますね!!
空を見上げる表現も素晴らしいですね!!!
うろ覚えですが、確か浅草寺の天井絵の龍も五本だった様な気がしますね。
お寺の欄間は照りがある事が多いですね。もしかしたら磨いてるのかなって思ったりもしますし、風雨に晒されていないので、木の油分が滲み出て自然にああなるのか。。。
このお寺は名工の作品がたくさんあって贅沢な気分になりました。
八世島村源蔵こと俊表が、あえて圓鉄で刻銘を残しているのが、全国に多く散見されます。これもその一つの作かと。
やはりそうなんですね。そういう事がまま有るというのは、コメント欄で教えて下さった方が過去にもいらっしゃいました。
ここは円哲で売ってる様なので、抗議しても訂正しない、なんて話も何処かで読みました。
彫師の系譜に興味があった事もありましたが、とても覚えきれません。