令和四年八月下旬 群馬県高崎市の全透院地蔵堂に参詣しました
鐘楼門にも良い彫刻が沢山あるのですが今回は素通り 再訪しました→全透院鐘楼門
鐘楼門をくぐり 正面の御本堂に続く階段ではなく 左の門の階段を登るとお目当ての地蔵堂があります
嘉永二年(1849)造営
棟梁 清水和泉藤原充賢
彫師 小林鱗藏正信
唐破風兎ノ毛通しの松鶴
唐破風下には馬師皇です
馬の名医でしたが その名声が天まで届いて 龍が診てもらいに来たと云います
中備の龍はコンパクトにまとめながらも この迫力
木目のキツい木です
海老虹梁も凄い事になってます
海老虹梁には子引き龍が彫られる事が多く 大抵は大小で二匹の龍ですが これには頭が三つ見えます
更に裏側に頭が一つあるので
計四匹の龍が彫られている事になります
右側の海老虹梁
すがめの龍です
手挟みの孔雀
正面左側の欄間
中国の武人の様ですが 誰なのかは分かりません 三国志演義では呂布や黄忠が弓の名手でした
扉上にも中国風の武人 船に乗っていないので「禹王の龍退治」ではないのでしょう
中華風龍退治には他に「方相と金龍」「龍を倒す張良」などがありますが 関西方面の地車などで良く見られる物に「漢高祖の龍退治」というのもある様です 漢高祖というのは劉邦の事
う〜ん 劉邦が一番もっともらしいかも
正面右側の欄間は 鉞を持った中国風武人
和歌山橋本市の地車では「大鉞を振るう徐晃」というのがある様です
徐晃というのは三国志演義に出てくる曹操配下の武人で 関羽と互角に戦います
扉には 彫りは浅いですが見事な獅子四態 と 扉脇板に登り下りの龍がありました
扉上の梟が愛らしい
扉脇の窓の下には宝尽くし 金嚢 打出の小槌 隠れ蓑 隠れ笠
反対側は 七宝 宝巻 宝鑰 宝珠 丁字
これだけでも訪れる価値は十分にありますが ここは彫刻の量が本当に凄いんです
身舎全面に彫刻があって 彫り物の無い部分を探すのが大変な位です すごいぞ!地蔵堂 m(_ _)m
という訳で其の二に続きます
刺青師・龍元
136-01(2022.11.19)
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