令和二年九月吉日、栃木県小山市の大川島神社に参拝しました。
元禄四年(1691)製の古い鳥居らしく、 御本殿と共に小山市の有形文化財に指定されています。
御由緒
藤原秀郷が平将門討伐の際に創建
宝永六年(1709)現本殿再建
安永三年(1774)胴羽目彫刻製作
文化五・六年(1808~9)その他彫刻製作
天保六年(1835)拝殿彫刻製作
御祭神 大己貴命
本殿彫師 磯邊義兵衛隆顕 他
拝殿彫師 二代目義兵衛隆信
拝殿彫師は磯邊義兵衛隆顕の長子の二代目磯邊義兵衛隆信。ちなみに野木町の野木神社本殿胴羽目は隆信の子・三代目磯邊義兵衛敬信の作ですね。
貫禄のある龍ですね。数千年は生きているという感じです。
龍の裏には銘がありました。シンプルに二代目義兵衛とだけあります。隆顕とか隆信とか敬信とかは、紛らわしいから後世の人が勝手に追加してるのかな。
裏へ廻ります。
御本殿は透塀+金網の張られた覆屋で守られていました。まあ、金網は粗目なので問題はあまりありませんが、塀は私の背より高いです。如意棒を使って何とか撮影しました。
左面胴羽目は「三聖吸酸」。孔子・釈迦・老子を描いて、誰が舐めても酸っぱい物は酸っぱい、思想は違えど真実は一つ、という意味だそうです。実際の彫り物を見たのはここが初めてかな。胴羽目は初代・義兵衛の様です。
脇障子は唐獅子牡丹。この獅子は格好良いです。特に前脚の感じが良いです。
背面胴羽目。画題は分かりません。唐子が五人、大人が二人います。
〜追記(2021.04.01)橘守国の絵本故事談という絵手本の孟子の頁に似た絵があります。でも、大人の人数と童子が持っている持ち物が違うので、単に構図を拝借しただけなのかもしれません。
追記終わり〜
〜追記(2023.10.11)こちらは、孟子の母が子供の教育に最適の環境を選んで三たび住居を移したという孟母三遷の故事の話で、「孟子が商人の駆け引き(競りをしている)を真似ている様子を母が覗いている場面」だそうです。ダラダラボッチさんにご教示いただきました。 追記終わり〜
脇障子も義兵衛なのだろうか。胴羽目に比べて彫りが細かい様な。。。
右面胴羽目。これも分かりません。亀がいますが、仙人という感じではなさそうです。
上を見上げると何かが笑っていました。
反対側でも暗がりの中でニヤニヤしています。
力神さまがいるという前情報はありました。
でも、こんなに恐ろしいお方とは存じませんでした。
シビれます。
オシッコちびります。
刺青師・龍元
219(2020.10.08)
コメント
onijiiです。
ここは3回も行きました!
高名な彫物師の作品なので、当時は近在の村から
見学者が多数押し寄せたかも?
邪鬼の力神が恐ろしい顔してたなあと、評判に
なっていたのでは?と勝手に空想。(笑)
200ヶ所ほど見てきましたが、おどろおどろしい
度合いではトップクラスですね!
自分も痺れてます。(笑)
きっと当時はそうでしょうね!オラが村自慢の力神さまを見ろ、どこにも負けねェ!って感じでしょうか。
鳥居の写真を撮ってたら、私の車のナンバーを見た人が「遠い所からワザワザ来るほど、有名なのかい」と話し掛けて来ました。私が「有名ですよ、凄い彫刻じゃないですか!」と答えると「???」て感じでしたね。
初めまして。良く見させていただいています。
背面胴羽目ですが、絵本故事談にある孟子の絵であっていると思います。
孟子の右側の絵は、孟子の母が子供の教育に最適の環境を選んで三たび住居を移したという孟母三遷の故事の話で、「孟子が商人の駆け引き(競りをしている)を真似ている様子を母が覗いている場面」を描いた物でしょう。大人の人数などに違いがありますが、話の内容からしてあっていると思います。
ダラダラボッチさん 初めまして
ブログ拝見させて貰ってます。ほぼ毎日の更新は凄いですね。御同病の方と交流出来て嬉しい限りです。
これは孟母三遷というんですね。勉強になります。
より多くの目で見て、多くの頭で考えると新しい発見が有ると思います。これからもよろしくお願いします。