他にも良い彫り物が沢山あります [二柱神社 其の三] 栃木県

親子猿 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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二柱神社 其の二の続きです

拝殿向拝 幣殿胴羽目 御本殿胴羽目などの大きな彫り物も素晴らしかったですが 他にも沢山良い物があったので紹介します

まずは拝殿正面千鳥破風の力神さま 懸魚に隠れて なかなか見えにくい角度です

力神

拝殿右面破風の力神さま

力神
力神

拝殿左面破風の力神さま

力神

ご苦労さまです

力神

御本殿右面千鳥破風の力神さま

力神

拝殿の力神さまと比べると ちょっと怖い感じです

力神

御本殿左面の力神さま

力神

劇画調です

力神

御本殿の左右には唐破風がついていました

本殿唐破風下

唐破風下の唐獅子牡丹

唐獅子

左面(もしかしたら右面)唐破風下

本殿唐破風下

頭と前足と毛のみの獅子です

唐獅子

組物間には化け鯉がありました

化け鯉

橘守国たちばなもりくにの「絵本通宝志」という本には これとそっくりな魚が 磨羯魚まかつぎょとして載っていました

磨羯魚というのは経典に出て来る怪魚で船を飲み込む程大きいとされます  鯉が龍に成る途中の化け鯉とは違う魚だと思われますが 橘守国の絵手本は寺社彫刻師のバイブルの様な本なので 磯辺儀左衛門秀重がこれを磨羯魚として彫った可能性はあると思います

て言うか これを化け鯉と呼んでるのは 刺青彫師だけなのか? でも 北斎や他の絵師が描く磨羯魚は全然違う姿です 

木階下の鶏も素晴らしいですね

鶏

縁下組物間には唐子遊びシリーズ

右面から まずは 唐子の喧嘩

唐子の喧嘩

次は唐子の闘犬 チョット虐待チックな絵面ではあります

唐子の闘犬

唐子の漁り

唐子の漁り

背面です 

唐子遊び

唐子の獅子舞

唐子の獅子舞

これは…靴を並べて何やってんですかねぇ

唐子遊び

左面 唐子の相撲

唐子の相撲

唐子の闘鶏

唐子の闘鶏

唐子の木馬遊び

唐子の木馬遊び

廻縁の桁隠しにはお猿さんです

猿

各面2体づつですが、右面は1つ欠損の様でした なのでこれは背面

親子猿
猿

左面

猿
猿

お猿さんの間には これは枇杷でしょうか? 何やら果実らしい物

枇杷

高欄の間には元聖天さまらしく 二股大根  

二股大根

賽銭箱の脇には 二股人参がお供えしてありました

二股人参

二柱神社は 以上です

とても素晴らしい彫り物ばかりで 本気で鑑賞すると集中力が続かない位でした

刺青師・龍元

097-03(2022.08.07)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    力神を見つけると大喜びして、他の彫刻には
    目が向かなくなってしまいます。(笑)

    お猿さんが可愛い!
    鶏かっこいいですね!!
    二俣大根は全く気付きませんでした!!!
    ありがとうございます。

  2. マサツグ より:

    げぎょに隠れるようにして力神(?)様が配置されているのはなにか意味があるのでしょうか?私の家の近くの神社にもあってあれはなんなんだろうとずっと疑問に思っていました。

    • 力神は屋根を支える様に、棟や軒の下に配置される事が多いですが、縁の下に置かれる事もありますね。
      隠れる様に配置してある事自体に意味があるかどうかは分かりません。
      でも、良く見えない場所の彫刻でも手を抜かないって言うのは、日本人らしいというか職人魂というか、、、シビれますね。

  3. shunasora より:

    こちらの彫刻は、記載のある通り三代目・磯辺儀左衛門秀重の作品とされています。
    彼の墨書(刻銘)のある作品は、ここの他には鹿沼市の日吉神社本殿しかありません。
    その上、ここが23歳時、日吉神社が22歳時という非常に若い時代の作品です。
    兄弟も非常に腕の立つ職人で、弟が二人います。
    一人が4代目となる磯辺儀左衛門信秀(初代と同じ名を名乗り、こちらは凡龍斎とも言う)。
    ちょうど、ここの拝殿の彫刻がその儀左衛門信秀の作品です。
    もう一人が後藤周治正秀です。
    彼は日光東照宮五重塔の彫物棟梁として有名です。
    また、鹿沼市の仲町彫刻屋台も彼の作品。
    ちなみに、茨城県桜川市の八柱神社本殿は磯辺儀兵衛隆顕の作品。
    儀左衛門秀重の叔父に当たります。

    秀重の二柱神社本殿は天明2年(1782年)、隆顕の八柱神社本殿は天明5年(1785年)の作品ですので、じっくりと見比べてみるのも面白いと思います(兄弟の儀左衛門信秀や後藤周治正秀)の作品も含めて。

    それと、この二柱神社や隆顕の八柱神社、妻沼の歓喜院聖天堂、深谷の横瀬神社や岡廼宮神社、越生の大宮神社などなど、北関東は聖天堂を壮麗に飾る文化があったんでしょうかね?

    • shunasoraさん こんにちは

      拝殿は同門の別の人という事なんですね。さすが詳しいですね。

      ここも妻沼聖天堂の様に綺麗にお色直しをすれば見違えると思いますが、荒れ様がひどい様で、以前の修復の時に屋根しか直せなかったらしいです。経済的にもマンパワー的にも大変で、境内の掃除もやっとの事らしいので、このまま廃れて行ってしまうのかなと思うと残念です。

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