令和六年七月中旬 山梨県富士川町の那賀天神社に参拝しました。
近くまで車のナビ通りに行きましたが 鳥居も参道も見つかりません。神社の東側から南側を通って西側へ回りましたが その先の県道は通行止めになっていました。
近くの民家で 車の荷物の積み下ろしをしている人がいたので尋ねてみましたが「近くの七面堂から登って行くのかしら?」と 神社を知らない様子。Googleマップにも車のナビ以上に詳しい道は載っていません。
前情報で 胴羽目彫刻が無い事は分かっていたので 諦めようかと思いましたが 念の為にYahoo!マップで確認すると 神社のすぐ裏まで続く道があったので 行ってみる事にしました。
急斜面を登る クネクネとした舗装された道から脇道に入り こんな道を進みます。最初のうちは車の轍がありました。
そのうちに轍は薄くなり 普通車でこれ以上は危険と判断して この先は徒歩で行く事にしました。
非常にわかりにくい分岐を左に曲がると もう完全に歩道です。
こんな道まで載ってるなんて Yahoo!マップ恐るべし。でも 車道と歩道の区別が分かる様にして貰えれば もっと良いですね。
とうとう神社の裏側へ辿り着きました。
御本殿覆屋の前に 神楽殿の様な建物があります。
鳥居が見当たりませんでしたが 多分 七面堂か何処か 随分と山を下った所にあるのだろうと思い 諦める事にしました。
覆屋の中には立派な御本殿が鎮座していました。
向拝です。
唐破風下は二十四孝きっての孝行娘 楊香です。
楊香と父が山に行くと虎が躍り出て 今にも2人を食べようとしました。
「私だけを食べて 父は助けて下さい」
楊香は必死に天に祈りました。
するとどういう事でしょう。虎は去り 父子共に命が助かりました。
水引虹梁上は 定番の龍です。
唐破風上の鬼板を見上げると 鬼面がありました。
前情報で知っていましたが 残念ながら胴羽目彫刻はありません。
海老虹梁も無く 手挟みには鳳凰がありました。かなり精緻な彫物です。
脇障子は 鉄拐先生こと李鉄拐。李鉄拐は幽体離脱の術を使います。
ある日 鉄拐仙人は友人に逢いに行く事になり「魂の抜けた身体を見守り 七日経っても帰って来なければ身体を焼く様に」と弟子に言いつけて 魂だけ出掛けます。
弟子は母の危篤の知らせを受けて居ても立っても居られなくなり 六日目なのに身体を焼いて母の元へ行ってしまいました。
帰って来た李鉄拐は仕方無しに 近くに転がっていた 足が不自由だった物乞いの死体に乗り移って蘇ります。
少しマヌケが過ぎるのでは?と思います。
右側の大棟鬼板にも 鬼面。
阿形です。
廻縁は厚みがあり 側面に彫り物が嵌め込まれています。ここら辺ではたまに見掛けます。
鯉です。
左側の脇障子は 李鉄拐と対になる事が多い 蝦蟇仙人だと思います。
蝦蟇がどこにも見当たりませんが 多分 欠損してしまっている右手の上にいたのだろうと思います。
〜追記(2024.07.27) やはり右手の上には蝦蟇がいた様です。蝦蟇の前足らしき物が残っています。
追記終わり〜
左慈に仙術を教わった三国時代の呉の葛玄 もしくは呂洞賓に仙術を教わった五代十国時代後梁の劉海蟾をモデルにしているとされます。
こちらの大棟鬼板にも鬼面。
吽形です。
胴羽目彫刻はありませんでしたが 見応えのある彫り物と 辿り着くまでの道のりが楽しい神社でした。
刺青師・龍元
065(2024.07.26)
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