武蔵坊弁慶
生年不詳-1189 平安末期の僧兵
幼名 鬼若丸
源義経の郎党
鬼若丸
母親の胎内に18ヶ月いて、生まれた時には髪が生え歯が揃っていたという。父親はこれを鬼子だと言って殺そうとしたが、叔母に引き取られ 鬼若丸 と命名された。
行儀見習いに稚児として京の比叡山に預けられるが、あまりの狼藉に寺を追い出される。
五条の大橋
刀千本狩りの悲願を立てた弁慶は、道行く武士に決闘を挑み刀を取り上げていた。千本まで後1本という所、五条の大橋で後の義経・牛若丸に挑むが軽くいなされる。以来、忠実な怪力無双の荒法師として義経に最後まで仕えた。
立ち往生
衣川の戦いで藤原泰衡の軍勢を相手に弁慶は義経を守るため、堂の入口で薙刀を振るって雨の様な敵の矢を全身に受け、立ったまま絶命したと伝えられている。
義経と並んで主役級の人気を誇り、「弁慶の立ち往生」「弁慶の泣き所」「弁慶に薙刀」「内弁慶」など、慣用句も多い。
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