令和二年三月吉日、栃木県佐野市の氷室山神社に参拝しました。
里宮にも御本殿がありましたが、彫り物は脇障子に一枚あっただけ。奥宮は裏の山の頂上にあります。
〜追記(20.04.04)頂上と書きましたが、本当の頂上は更に歩いて数時間登った所に有って、氷室山神社の小さな石の祠が有る様です。追記終わり〜
里宮拝殿の脇から登り始めます。
始めのうちは階段などがありましたが、しばらく行くと倒木を乗り越えたり、道なき道を進むという感じ。左右が急斜面になっている尾根づたいに進みます。要所要所に人工物があるので迷う事は無いと思います。
というか通れる所を進むしか無いという感じですね。写真は帰り道に撮ってます。
ネットで検索すると「奥宮までは遊歩道が続く」と出ていました。山歩きをする人にとっては何という事も無い道の様ですが「直線距離で600m、高低差380mはかなり登りごたえがある」という人も。東京タワーが333mですからね。私の足で45分掛かりました。
由緒
仁和元年(885)創建
御祭神 赤部山神
由緒については諸説ある様ですが、町が立てた看板と地域住民が建てた石碑には阿蘇の赤部・てんぐ様を祀ってあるとの事。
奥宮
御本殿はかなり荒廃してしまっていて、正面扉は無くなっているし、木階などは外れてしまってます。
向拝。小さいながらも非常に精密な木鼻。
海老虹梁の龍も素晴らしいです。
御本殿左面。
左側胴羽目は「黄石公と張遼」。
巻物を持つ黄石公。
沓を差し出す張良。徒弟制度をよく表した物語ですね。実際の徒弟はそんなもんじゃないですけど。
脇障子は鶴と仙人。鶴仙人はいっぱいいるからなぁ。梅があれば「林和靖」なんですが。髭をしごいているのが何かのカギになるのかな。
御本殿背面。
胴羽目は「竹林の七賢」。左上の人、次元大介みたいでシブい!
御本殿右面。所々ずれてしまっている組物があったりして、じきに崩壊してしまうのではと心配になります。
胴羽目の画題は???麒麟と言えば、「麟吐玉書」「西狩獲麟」「上元夫人」ですが、どれも違う様ですね。獲麟っぽい気がしますが、それなら麒麟は死んでいる筈。。。
もし獲麟ならこの人は孔子という事になりそうですが。。。
麒麟に書物を見せているのかな。それとも、もしかして麒麟が玉書を吐き出したのか?
脇障子はう〜ん、滝の様なものがあるから、きっと「李白観瀑」。
こちら側にだけ力神がいました。翼があるので多分、てんぐ様なのだと思います。
山の頂上にあるので、台風や嵐の時にはモロ直撃なのでしょう。覆屋も壊れかかってるし、至急、何らかの処置をしなければ崩壊してしまうと思います。
刺青師・龍元
054(2020.04.02)
コメント
Shin-zさんのブログでこちらの神社が掲載されていたので、参拝予定としていましたが、登山系だったのですね・・・。向拝柱、海老虹梁、妻、そして胴羽目、全てに彫り物が有るので撮影は一時間超、登山系となると、ここだけで半日は潰れてしまいますね・・・、劣化状況からして早めに行かないとやばそうですね。
こんな所に神社建てるなんて、宮大工さんも凄いですよね。
登山だって分かってて行ったのに、この日もまたエンジニアブーツで行ってしまって苦労しました。結構急斜面もあって、落ち葉が溜まってて滑るし、ほぼ四つん這いに近い状態で登る場面もありました。これ以来、車にトレッキングシューズを常備しています。
向かって右側面胴羽目彫刻の題目ですが、「西狩獲麟(せいしゅかくりん)」っぽく思えてきました、っていかにも知ってそうな書き方ですが、龍元さんのブログを見てから調べ始めました。龍元さんがご指摘の通り麒麟は死んではいませんが、物(資料)によっては、麒麟を『捕えた』と表記の資料と『殺した』と表記の資料がある様な感じがしました。(ここはKyoさんの専門分野ですね!!)
左の老人が『孔子』、右の偉そうな御方は孔子の晩年の君主『哀公(あいこう』(魯の第27代君主)、かなぁ?と思っていますが、まだまだ調査は進行形(ゆっくり)です。
やっぱり獲麟でしょうか?
阿保神社の胴羽目では法峰寺の山王堂と同じ感じで、左の人が米俵を背負っていて、童子が麒麟に乗ってるんですよね。何かヒントになりそうですが。。。
大己貴命
素戔嗚尊
伊弉諾尊
瓊瓊杵尊
大宮女大神
布留大神