荘厳なる彫り物が崩壊寸前 [氷室山神社] 栃木県

龍 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和二年三月吉日、栃木県佐野市の氷室山神社に参拝しました。

氷室山神社鳥居

里宮にも御本殿がありましたが、彫り物は脇障子に一枚あっただけ。奥宮は裏の山の頂上にあります。

〜追記(20.04.04)頂上と書きましたが、本当の頂上は更に歩いて数時間登った所に有って、氷室山神社の小さな石の祠が有る様です。追記終わり〜

氷室山神社里宮拝殿

里宮拝殿の脇から登り始めます。

山道

始めのうちは階段などがありましたが、しばらく行くと倒木を乗り越えたり、道なき道を進むという感じ。左右が急斜面になっている尾根づたいに進みます。要所要所に人工物があるので迷う事は無いと思います。

山道

というか通れる所を進むしか無いという感じですね。写真は帰り道に撮ってます。

山道

ネットで検索すると「奥宮までは遊歩道が続く」と出ていました。山歩きをする人にとっては何という事も無い道の様ですが「直線距離で600m、高低差380mはかなり登りごたえがある」という人も。東京タワーが333mですからね。私の足で45分掛かりました。

由緒

仁和元年(885)創建
御祭神 赤部山神

由緒については諸説ある様ですが、町が立てた看板と地域住民が建てた石碑には阿蘇の赤部・てんぐ様を祀ってあるとの事。

奥宮

氷室山神社奥宮

御本殿はかなり荒廃してしまっていて、正面扉は無くなっているし、木階などは外れてしまってます。

氷室山奥宮御本殿

向拝。小さいながらも非常に精密な木鼻。

氷室山神社奥宮御本殿向拝

海老虹梁の龍も素晴らしいです。

氷室山神社奥宮御本殿海老虹梁の龍

御本殿左面。

氷室山奥宮御本殿

左側胴羽目は「黄石公と張遼」。

黄石公と張良

巻物を持つ黄石公。

黄石公

沓を差し出す張良。徒弟制度をよく表した物語ですね。実際の徒弟はそんなもんじゃないですけど。

張良

脇障子は鶴と仙人。鶴仙人はいっぱいいるからなぁ。梅があれば「林和靖」なんですが。髭をしごいているのが何かのカギになるのかな。

林和靖

御本殿背面。

氷室山奥宮御本殿

胴羽目は「竹林の七賢」。左上の人、次元大介みたいでシブい!

竹林の七賢

御本殿右面。所々ずれてしまっている組物があったりして、じきに崩壊してしまうのではと心配になります。

氷室山奥宮御本殿

胴羽目の画題は???麒麟と言えば、「麟吐玉書」「西狩獲麟」「上元夫人」ですが、どれも違う様ですね。獲麟っぽい気がしますが、それなら麒麟は死んでいる筈。。。

獲麟?

もし獲麟ならこの人は孔子という事になりそうですが。。。

孔子?

麒麟に書物を見せているのかな。それとも、もしかして麒麟が玉書を吐き出したのか?

麒麟

脇障子はう〜ん、滝の様なものがあるから、きっと「李白観瀑」。

李白観瀑

こちら側にだけ力神がいました。翼があるので多分、てんぐ様なのだと思います。

天狗

山の頂上にあるので、台風や嵐の時にはモロ直撃なのでしょう。覆屋も壊れかかってるし、至急、何らかの処置をしなければ崩壊してしまうと思います。

刺青師・龍元

054(2020.04.02)

コメント

  1. より:

    Shin-zさんのブログでこちらの神社が掲載されていたので、参拝予定としていましたが、登山系だったのですね・・・。向拝柱、海老虹梁、妻、そして胴羽目、全てに彫り物が有るので撮影は一時間超、登山系となると、ここだけで半日は潰れてしまいますね・・・、劣化状況からして早めに行かないとやばそうですね。

    • 龍元 より:

      こんな所に神社建てるなんて、宮大工さんも凄いですよね。
      登山だって分かってて行ったのに、この日もまたエンジニアブーツで行ってしまって苦労しました。結構急斜面もあって、落ち葉が溜まってて滑るし、ほぼ四つん這いに近い状態で登る場面もありました。これ以来、車にトレッキングシューズを常備しています。

  2. より:

    向かって右側面胴羽目彫刻の題目ですが、「西狩獲麟(せいしゅかくりん)」っぽく思えてきました、っていかにも知ってそうな書き方ですが、龍元さんのブログを見てから調べ始めました。龍元さんがご指摘の通り麒麟は死んではいませんが、物(資料)によっては、麒麟を『捕えた』と表記の資料と『殺した』と表記の資料がある様な感じがしました。(ここはKyoさんの専門分野ですね!!)
    左の老人が『孔子』、右の偉そうな御方は孔子の晩年の君主『哀公(あいこう』(魯の第27代君主)、かなぁ?と思っていますが、まだまだ調査は進行形(ゆっくり)です。

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