名工・島村圓鉄と並べられて [大杉神社 其の二 透塀欄間] 茨城県

二十四孝 董永 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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[大杉神社其の一御本殿と拝殿] の続き

拝殿向拝木鼻の激レア霊獣・獬豸かいちや御本殿縁下組物間の謎の仙人も素晴らしくて一見の価値ありですが、何と言ってもここの本命は御本殿玉垣の透塀欄間でしょう。名工・島村圓鉄(円鉄だったり円哲だったり)の手による二十四孝が26枚あるといいます。

二十四孝というのは中国の偉人の孝行話を24話集めたものですが、文献により違いがあり、実は26話あります。それが26話揃っているというのは素晴らしい。

嬉しい事に一枚一枚解説があるので、初めて見る人も理解できます。

大杉神社

まずは、拝殿の左側から。案内板によるとこれと隣、二枚で仲由ちゅうゆうの様です。子路しろとも言います。

二十四孝 仲由

親孝行な仲由は貧しかったが、仕事を頑張って(米を運ぶ仕事)金持ちになった。しかし、裕福になった頃には親はすでに亡くなっていたので親孝行が出来ず悲しんだ、という話。多分、↑は「金持ちになった」という事を表しているのでしょう。

↓「飯が不味くて泣いているのだ」と勘違いする人(私)が必ずいると思います。説明書きがあって本当に良かった!普通は米(俵)を担いでいる姿で表される事が多いです。

二十四孝 仲由

↓雷嫌いの母が亡くなった後も、雷が鳴ると母の墓に駆けつけた母親思いの王裒おうほう

二十四孝 王裒

↓羽衣伝説の元になったと言われる董永とうえい。父の葬式代を捻出するために奴隷になる所だったが、織姫がやってきて身代金を機織りで返してくれた。そんな織姫との感動のお別れのシーン。

二十四孝 董永

丁蘭ていらん。死んだ母親の人形を大事にする旦那に当てこすったのか、奥さんは人形に針を刺したり火をつけたりした。ちょっと病的な奥さんだが、それに怒って三年もの間、大通りで人形に詫びを入れさせた旦那も心の病っぽい。多分、二人とも社会から孤立してしまって、何が正しいのか判断ができてないのだと思います。近所の人や行政はこういうの放って置いちゃダメ!

二十四孝 丁蘭

↓親の遺産を三兄弟で分ける相談を木の前でしたら、木が枯れてしまって、やっぱりやめようと決めたら、木が生き返った、という田眞でんしん兄弟の話。親孝行とは一切関係ありませんね。

二十四孝 田眞三兄弟

↓「楊香ようきょうよ、私の授けた最終奥義を試す時だ」と言ってるかの様に落ち着いている様に見えるお父さん。

二十四孝 楊香

↓父の布団を仰いで寝床を涼しくする親孝行な黄香おうきょう。仰ぐんだったらお父さんを仰がなきゃ。布団を仰いでも涼しくならんよ。

二十四孝 黄香

↓50歳を過ぎて、妻子や職を投げ打って子供の頃に生き別れた母を探す旅に出てしまう朱壽昌しゅじゅしょう。一家の大黒柱・お父さん・職業人としての責任は放棄です。それらを埋め合わせる様なもの凄い親孝行をしなくては。

二十四孝 朱壽昌

↓お父さんが寝ている側で裸で寝転がって、父の代わりに蚊に刺されまくる呉孟ごもう
「酒を注いだ自分の体を蚊に喰わせて親に近づく蚊を防ぐより、その酒代で蚊帳を買った方が利口じゃん」と福沢諭吉が的確なアドバイスをしてあげた、という話はウィキペディアに載るほど有名です。

二十四孝 呉孟

↓母のために美味しい水や母の好物の魚を遠い河まで、嫁に歩いて取りに行かせていた極悪亭主の姜詩きょうし。強風の為に帰りが遅くなった奥さんを追い出した事もあるらしい。なので神様が同情して河を家の脇に動かしてくれた、という話。おお、神様!ありがとうございます!

二十四孝 姜詩

と!ここまで来て、柵があるので向こう側へは行けません。御本殿の謎の仙人シリーズも正面から見えないし、どうなってんの?正月だから?

裏

説明書きを見ると苔が生えちゃって、だいぶ前から閉鎖されている様子。

隙間から

でも、ここで諦めては寺社彫刻探求道を追求する事は出来ません。一旦裏の道路へ出て、建物の下の隙間から望遠で不完全ながらなんとか二枚撮影できました。

大舜たいしゅんは継母と実父に殺されそうになりながらも親に尽くしたので、象と鳥が畑仕事を手伝ってくれた、という話。神さま!殺されかけたのにご褒美がショボ過ぎます!

二十四孝 大舜

↓真冬に魚が食べたいと我儘を言う継母の為に魚を獲ろうと川にやって来た王祥おうしょうだったが、川は完全に凍り付いていて魚の姿はどこにも無かった。悲しみのあまり裸で寝ていたら氷が溶けて魚が二匹獲れた。以来毎年、王祥が伏した所には人が伏せた形の氷が出る、という怪談話。from ウィキペディア。

二十四孝 王祥

本殿玉垣だけでなく、表の道路との境にも透塀があり、綺麗に彩色された彫り物があったので、そちらもてっきり円哲の二十四孝だと思っていたのですが、近づいてみるとやはり名工と言われる人の仕事は違うものだ、と唸らされました。逆の意味で。

↓左の人は控鶴仙人こうかくせんにんでしょうか。紫色の人は前腕が妙に長いです。何かの術でしょうか。

控鶴仙人

琴高仙人きんこうせんにんと龍に琴の音を聴かせる玉巵ぎょくし。一弦琴のはずですが、四弦あります。

琴高仙人 玉巵弾琴

唐子と鶴亀と寿老人じゅろうじん

寿老人

唐子の重陽ちょうよう 花車。

唐子の重陽

真ん中の顔は唐子の宗祖様でしょうか。

あきる野市雨武主神社↓にも似たものがありました。

なんじゃこりゃぁ
あきる野市雨武主神社妻飾り

他にもデッサンの狂った唐子達と十二支の欄間が数枚ありましたが、割愛します。これらは明らかに島村円哲ではありませんね。名工と並べられて少し気の毒にも思います。

御本殿の右側には入れなかったので、二十四孝は結局十二話だけしか見られませんでした。以前は入れたみたいだけどな〜。いつかまた入れる様になるのかな〜。

刺青師・龍元

018-02(2021.02.02)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    こちらの二十四孝はとても有名ですね。
    圓鉄の作品は真岡の大前神社や桜川の
    雨引観音にもありましたね。
    作風が漫画チックなので初心者の自分
    にも分かりやすく好みです。

    26枚全部見たいですね!
    再訪した時に聞いてみます。(笑)

    現実的な解説がとても面白いです。
    毎回楽しみにしています。(笑)

    • 円鉄の作風は色が乗りやすいですね。
      彩色と相性が良いです。

      中国の古い話は極端なのが多いですね。
      中国人の友人がいるので聞いてみたら、一応昔話としては知ってるけど興味は無いし、絵を見ても説明しないと分からない様でした。これで中国を判断するなって感じで呆れてました。
      まあ、そりゃそうですね。

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