令和二年八月吉日、長野県東御市の白鳥神社に参拝しました。
すぐ脇を千曲川が流れていて、『源平盛衰記』で木曽義仲が三千騎の兵と共に挙兵した白鳥河原というのはここです。
御由緒
創建年不詳
御祭神 日本武尊 貞元親王 善淵王 海野広道公
胴羽目には紋様が彫られていました。
背面
同じく紋様。
右面
とにかく紋様。
白鳥神社御本殿の右となりには摂社の新海宮がありました。
正面扉脇板には昇り降りの龍が彫られていました。
脇障子は松に鶴。
反対側の脇障子はなぜか松に鷹でした。
刺青師・龍元
179(2020.08.27)
コメント
onijiiです。
東御市?どこかな?と調べたら、昔の東部町
なんですね。
40年ほど前に近くに仕事で行きました。
紋様ばかりの神社はたまにありますね。
胴羽目の達人さんには物足りないですよね。(笑)
長野の18号沿いは紋様とか鶴とか割とあっさりした浅い彫り物が多いですね。多分、予算の関係なのだと思います。
雲蝶や源太郎の様に気に入った仕事を好きな様にやる芸術家タイプの彫師がいた一方で、親方が工房に職人を何人も抱えていて、分担で作業して彫り物を量産していた所もあった、と読んだ事があります。親方が仕事を受けて、職人に給料を払うという形態ですね。そういう所では、大きさとか彫りの深さ、画題の複雑さなどで値段が違った筈です。
浮世絵なんかは主に後者の形態だったそうです。親方と職人の関係は主従関係だったらしいですよ。