令和七年五月中旬 群馬県前橋市の上野國総鎮守 総社神社に参拝しました。

元和二年(1616)現本殿再建
天保十四年(1843)拝殿再建
彫師 小林源太郎


釣り竿を持って亀に乗る と言えば 浦島太郎。でも服装を見ると 彦火火出見命(山幸彦)みたいな感じ。でも彦火火出見命は鰐鮫か赤目鯛に乗りますね。ではこちらは どなた様でしょう?

唐破風下には子引き龍がありました。

龍は割と 水引虹梁上が定位置ですが 唐破風下に追いやられて少し窮屈そう。

さすが 源太郎 超絶細密彫り物です。

水引虹梁上の中備は 天岩戸。

須佐之男命の乱暴狼藉に腹を立てた天照大神が岩戸に隠れてしまったので 世界が闇となりました。

神々は集まって協議しました。

神々は八咫鏡・八尺瓊勾玉などを作り 祝詞を奏上しました。

天宇受賣命が踊りました。

高天原中に鳴り轟くように 八百万の神が一斉に笑いました。

天照大神が訝しんで天岩戸の扉を少し開けると 隠れていた天手力男命がその手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。

正面扉脇は唐獅子。百獣の王・獅子は 我が子を千尋の谷に突き落とし 這い上がって来た子だけを育てると云います。



海老虹梁の子引き龍。

親龍のお髭がクルクルクルと 三回転。

実は 裏にもう一匹の子龍がいます。

右側の海老虹梁。

こちらの龍も お得意のクルクルお髭。やはり耐久性に難ありです。

一本の木から削り出してある様に見えます。そうでないとしても 物凄い根気が必要だと思います。


脇障子の手前には通路に続く階段があるので 残念ながら脇障子の下半分が隠れてしまってます。

左側脇障子の神功皇后と対になっているとすると 多分 これは武内宿禰でしょう。

裏側にも彫刻がありました。

鎧を見る限り 日本の武人の様ですが どういう場面なのかは分かりません。

左側脇障子の裏側も 似た様な感じで武人二人。 対になっているとしても何だかは分かりません。

ここは御本殿にも胴羽目は無いのですが 良い彫刻が非常に充実していて点数もあるので 写真が多くなってしまいました。
其の二に続きます。
刺青師・龍元
061-01(2025.09.18)
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