玄翁心昭
源翁とも言う
1329-1400 南北朝時代 曹洞宗の僧
九尾の狐伝説 その三 殺生石
九尾の狐
妖狐・九尾の狐は中国古代王朝・殷の妲己(だっき)として、のちに天竺では華陽夫人として、西周では褒姒(ほうじ)として、いずれも美貌によって王を惑わせて国を破滅に導き、世界中を荒らし回っていた。日本へは平安時代に遣唐使船に乗って渡来したとされる。
玉藻前
日本では玉藻前(たまものまえ)という絶世の美女に化けて鳥羽上皇の寵愛を受ける。帝の命を奪って日本を我が物にしようと図るが、阿部泰親 によって正体を見破られ逃走した。
後に 上総介広常 により討伐されるが、狐は石と化して毒を吐き、近くを通る人間や動物を殺し続けたので、人々はこの石を殺生石と呼んで恐れた。
あまたの名僧がこれを鎮めようとするが失敗、命を落とした。九尾の狐が 上総介広常 により討伐されてから二百数十年後の元中/至徳二年(1385)、遂に玄翁和尚が妖狐の魂を鎮め、金槌を振り下ろすと石は三つに割れ各地に飛び去ったという。
その内の一つが栃木県那須町で今も毒を吐き続け、周辺は立ち入りを規制されている。
また、金槌の事を玄翁(または玄能)と言うのはこの伝説に由来するとの説がある。
刺青師・龍元
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