令和六年十月下旬 千葉県千葉市の三嶋神社に参拝しました。三嶋神社 其の一からの続きです。
背面
胴羽目は 加藤清正の虎退治。
長烏帽子形兜と蛇の目紋がトレードマークの加藤清正は 槍の名手で片鎌槍が有名です。
秀吉の家臣だった清正は 文禄元年(1592)からの文禄・慶長の役で朝鮮に出兵。
この頃の朝鮮半島にはアムール虎が数多く生息していて 清正は士気高揚の為にしばしば虎狩りをしたと伝えられています。
縁下組物間には波に犀。その下に菊水です。多分 この菊水は上下逆さまに取り付けられていますね。
右側も同じ。犀の頭の左側の岩に文字が刻まれています。他にも所々に銘が彫ってあるのですが 多分 寄進者でしょう。
左面
妻飾りの鯉。
やはり こちらも化け鯉です。
胴羽目。
ここへ来るまでは 黄石公と張良だと思ってました。
が 少し様子が違います。
老人が持っている物は巻物ではないし 跪いている人が沓を差し出している訳でもありません。
それに烏帽子の様な物を被っていて どうやら和装の様です。一体どなた?
大きな脇障子には 猩々が彫られていました。
酒瓶の上で踊り狂う猩々。
飲み過ぎたのか 座り込んで顎を上げる猩々。
それ チャッチャッチャ🎵
縁下組物間には唐獅子がありましたが その下のこれは何でしょう? 二十四孝で誰も居ない寝床を団扇で扇ぐのは黄香。でもこれは誰かが寝てますね。
府馬愛宕神社の玉垣↓では 親の身代わりに蚊に刺される呉猛が団扇を持っていました。これ↑も呉猛なのでしょうか。
左側は 竹があって鍬を持った人物がいるので 二十四孝の孟宗に見えます。
が よく見ると 人物の左側に鳥が2羽飛んでいる様です。
どちらも二十四孝ではないのかな。
追記(2024.11.21)どちらも 葛飾戴斗 「二十四孝図会」の「呉猛」と「孟宗」を参考にしているように見える と小心さんにご教示いただきました。
浜床下は 唐子の闘鶏。
木階下は 赤子を抱く武内宿禰で 応神天皇誕生。反対側の神功皇后と対になります。
右胴羽目が欠損しているのは残念でしたが それを補ってなお余りある 素晴らしい彫刻が満載の神社でした。
刺青師・龍元
090-02(2024.11.19)
コメント
彫刻がぎっしりですね。
団扇で仰いでいる少年と、鍬を担いで歩く男性、
葛飾戴斗 「二十四孝図会」の「呉猛」と「孟宗」を
参考にしているように見えます。
葛飾戴斗の二十四孝図会で間違いなさそうですね。
寝ている親父を裸で扇ぐ呉猛。密室で行われる異様な光景ですね。
孟宗の鳥が出てくるバージョンがあるなんて思いもよりませんでした。
ありがとうございます。
onijiiです。
黄石公と張良、二十四孝ではなかったのですね。
すっかり勘違いしてました。
リスト訂正しときます。ありがとうございます。
ぱっと見、勘違いしますよね。
思い込みはあるもので、私もズームで撮るまで気づきませんでした。