令和六年五月中旬 茨城県常総市の別雷神社に参拝しました。
享保十七年(1732)創建
明治初期 本殿再建
明治四〜九年(1871-76)彫刻製作
御祭神 別雷神
彫師 後藤縫之助
小さくて細い拝殿です。
いつもは右から廻りますが ここの胴羽目は三点で 大江山伝説の続き物なので 物語の順番通りに左面から廻ります。
向拝は見えなくなっています。縁下は後の補修なのか 通常の御本殿とは全く違う造り。
現在は御本殿を護る屋根が架けられていますが 割と最近まで雨ざらしだった様です。
胴羽目は 源頼光 足柄山にて金時を得る の場面。頼光が金太郎を見染めて召し抱えます。
金太郎の母 山姥。
「誰か来たよ。。。一体 誰だろうね。。。」
首チョンパになってしまってますが 馬上の人が源頼光だと思われます。
頼光の従者。従者は四人いるので頼光四天王だと思いましたが よく考えると 坂田金時を除いた三人の筈。
浮世絵などでも 頼光と三人の他に下々の皆さんが多数おられる様です。
片手で子熊を持ち上げ 怪力を誇示する金太郎。でも 熊というよりカピバラみたい。
後に 名を坂田金時と改めます。1778年刊の『誹風柳多留』には「金太郎わるく育つと鬼になり」という川柳が載っているそうです。ここで頼光に出会わなければ 将来とんでもない怪物になっていた事でしょう。
背面です。
胴羽目は 大江山伝説 木渡り の場面。大江山に巣食う鬼を退治するために 山伏姿に扮した頼光一行が山道を進みます。
怪力の坂田金時が 木を引き抜いて谷川に渡し 一行は渓流を越えます。
途中 血の付いた布を洗う女に出会い 道を尋ねる場面。
味わい深い表情です。
これを見てすぐに 後藤縫之助だと分かる訳ではありませんが これが縫之助彫と聞けば ああ 流石名工は違うなと思います。
仏の化身の翁に 鬼には毒になり人間には薬になるという「神便鬼毒酒」と八幡大菩薩が使っていたという「星兜」を与えられます。
この様子を遠眼鏡で観察する鬼。 このくだりは初見です。
この後 鬼たちの棲家に到着。頼光一行は旅の山伏を装い 一晩の宿を請います。
鬼たちは 遠眼鏡で見て知ってたんなら騙されない筈と思うんですが。。。どういう展開になっているのだろう?
右面です。
いよいよ物語はクライマックスに突入 宿のお礼に 一行が酒呑童子に酒と舞を振る舞う場面。
舞を披露する 頼光一行の誰か。
「まあ 一気にググッとどうぞ」
「これは かたじけない ご馳走になります」
「バカめ 鬼には毒だとも知らずに。。。」
大江山の大ボス 酒呑童子です。
酒呑童子の生い立ちには 諸説ありますが 私は「稚児として働いていた寺で 鬼踊り祭りの時に振る舞われた酒を鯨飲して寝てしまい 起きた時には付けていた鬼面が外れなくなっていて 寺を追われた」という話が哀しくて好きです。
深く人間を恨んだ童子は 各地を放浪の末に 沢山の鬼を連れて大江山に巣喰い 都から人間をさらって来ては 生きたまま食べていたそうです。
ああ 金太郎の様に 誰か正しい人に出会って導いて貰ってさえいれば。。。人生とは ちょっとした ボタンの掛け違いやタイミングで 大きく変わります。
この神社では ここで物語は終わりなのですが 続きの場面が 茨城県大子町の王子神社にあります。
神便鬼毒酒を振る舞われて 体が痺れ 動けなくなった鬼たちを 頼光一行が退治する場面。
酒呑童子は首を切り落とされますが その刹那 生首が頼光に飛びかかり 頭にかぶり付いたまま息絶えます。
頼光は仏に授かった星兜を被っていたので無事でした。刺青ではもっぱら この場面が彫られます。
別雷神社に戻ります。
右側脇障子の裏には龍が彫られていました。
これは左右で一組。龍退治はいくつかありますが 須佐之男命八岐大蛇退治 の可能性が一番高いでしょう。
酒甕や櫛名田比売があれば 確実なんですが。。。
縫之助の彫り物をたっぷり堪能できました。
刺青師・龍元
050(2023.05.24)
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