二十二人の親孝行な人たち [滑河山龍正院] 千葉県

天女 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和六年 新年寺社彫刻巡礼の旅 第二十五カ所目 千葉県成田市の滑河山龍正院に参詣しました。

龍正院山門

承和五年(838)草創
御本尊 十一面観世音
坂東三十三観音第28番札所
通称 滑河観音なめかわかんのん

龍正院御本堂

向拝の龍です。

向拝の龍
向拝の龍

外陣の天井には絵が描いてありました。

外陣天井

内外陣境 左の欄間。これは鳥脚なので迦陵頻伽かりょうびんがですね。

内外陣境 真ん中の欄間は天女でしょう。

天女

なんか良い感じの顔です。好みです。

顔のところには 羽衣か何かが引っ掛かっているのかな?

天女

右端の欄間。これも迦陵頻伽だと思います。

迦陵頻伽

欄間の上の蟇股には 二十四孝がありました。

一.自分閔子騫を虐めた継母を追い出そうとする父親をなだめる閔子騫びんしけん

二十四孝 閔子騫

二.真ん中の額の裏にも二十四孝。雷が鳴るたび 雷ぎらいだった母の墓に駆けつけた王裒おうほうでしょう。

二十四孝 王裒

反対側にも人がいます。一体誰? 〜追記(2024.03.18)小心さんから「庾黔婁の背中の可能性はないでしょうか」とコメントを頂きました。 追記終わり〜

二十四孝 

〜追記(2024.04.15)小心さんのブログ 二十四孝に会いにいく を見ると この部分に燭台があれば これは庾黔婁ゆけんろう確定とありました。写真の影の部分をPCで補正して見ると 確かに燭台がありますので これは庾黔婁で決まりです。 

庾黔婁

追記終わり〜

三.右の蟇股も二十四孝。これは 七十過ぎても赤子の真似をして 両親に歳を忘れさせた 老萊子ろうらいし

二十四孝 老萊子

と ここまでは屋内なので 状態は良好です。 

外側にも蟇股がありました。雨風太陽に晒されているので劣化が激しく 判別が難しかったです。

四.これは二十四孝クリーンナップ打線。歯が無く咀嚼が出来ない姑に 乳を与える唐夫人とうふじん

二十四孝 唐夫人

五.さて これは何でしょう?劣化が激しいです。引き算で考えると 大舜たいしゅん 庾黔婁ゆけんろう 曾參そうじん 江革こうかく 仲由ちゅうゆうのうち どれかになりそうですが。。。 〜追記(2024.03.17)右側の人が手にしている物が尿瓶だとすると これは黄庭堅こうていけんかも知れません。となると 下で黄庭堅だと思った物は再考しなければなりません。追記終わり〜

六.これは多分 妻子や仕事を投げ打って 50年前に生き別れた母を探し求めた 朱寿昌しゅじゅしょうでしょう。

二十四孝 朱寿昌?

七.帝の位にありながら 母のために毒味・給仕をした 漢文帝かんぶんてい。 黄庭堅こうていけんと迷いました。

二十四孝 漢文帝

八.父が蚊に刺されない様に 裸で眠って蚊を我が身に引き寄せた呉猛ごもう。最近 この人が実は大仙人だったという事を発見して 驚いています。

二十四孝 呉猛

九.こちらも劣化が激しいです。人物が三人いる様ですが 何でしょう?

二十四孝 ?

こちら↓は雨引山楽法寺御本堂蟇股の姜詩きょうし。雰囲気が似ていると思うので 上のは姜詩かも知れませんが 確信はありません。 〜追記(2024.03.18)小心さんから「柄杓が見えるので姜詩だと思います」とコメントを頂きました。追記終わり〜

二十四孝 姜詩
雨引山楽法寺御本堂蟇股

十.山で虎に出くわして「私を食べて良いからお父さんを助けて」と天に祈ったら虎は行ってしまった という楊香ようこう

楊香

十一.真冬なのに生魚が食べたい という無理難題をいう母のために 氷が張った川に王祥おうしょうが服を脱いで伏していると氷が融けて魚が二匹取れた。それ以来毎年冬になると同じ場所に人型が現れる(Wikipediaより)という怪談話。多分 王祥は帰らぬ人になってしまったのでしょう。

二十四孝 王祥

十二.盗賊っぽい人物2人と。。。もしかしたらもう1人2人いたのかも。。。盗賊が出てくる話は蔡順さいじゅん 江革こうかく 張孝兄弟ちょうこうきょうだいかな。蔡順は後で出てくるし 江革はお母さんがいる筈。という事でこれは「オレの方が太ってるから」「オレの方が美味いから」と食べられる事を争った 張孝兄弟。かな?

二十四孝 蔡順?

十三.母が亡くなった後も母の木像を作って生きている時のように尽くした という丁蘭ていらん かな?(自信無し)。人形に尽くすなど 正気を失った丁蘭は 瑣末な事を捉えて 通りで3年もの間 人形に詫びを入れさせるという 凄まじい虐待を奥さんに加えます。 〜追記(2024.03.17)二十二が丁蘭かも知れないという事になってしまいました。するとこれは何? 追記終わり〜

二十四孝 董永?黄庭堅?

 〜追記(2024.03.18)小心さんから「左の母親っぽい人は指を噛んでるみたいなので曽参でしょうか。右のほうに何かあるのが、薪ならば確実」とコメントを頂きましたので 拡大写真を載せます。

何処かを指差している様に見えますが 指を噛んでいる様にも見えます。もしかしたら破損しているのかも知れません。

曽参なら薪がある筈の所には 背負子がある様に見えます。薪は破損してしまったのかも知れません。

引き算で考えても 大舜たいしゅん 庾黔婁ゆけんろう 曾參そうじん 江革こうかく 仲由ちゅうゆうのうち どれかですから 曾參で間違いないのでしょう。 追記終わり〜

十四.これは真ん中に木があるので 田真兄弟でんしんきょうだいでしょう。切ると決めたら枯れ 切るのやめようと決めたら元気になった木の話。親孝行とは一ミリも関係のない話です。

二十四孝 田真兄弟

十五.父の葬儀代を工面するために身売りをした董永とうえいの元に織姫がやって来て 機織りでたちまち董永の借金を返してくれました。感動のお別れのシーン。

二十四孝 董永?

十六.右端に佇む子供の様子からすると おやつに出された蜜柑を黙って持ち帰ろうとして咎められ 母に食べさせたかったと言い訳をする 口の上手い陸績りくせきかなと思いますが 確信はありません。

二十四孝 ?

十七.現地では 刀を逆手に構えた座頭市かと思いましたが。。。

二十四孝 郯子

端っこに鹿の皮を被った郯子たんしがいました。郯子は目の悪い両親の為に 鹿の皮を被り 眼病に効くと言われる鹿の乳を絞っていたら 猟師に撃たれそうになります。

十八.二十四孝で米俵があるのは 蔡順さいじゅん仲由ちゅうゆうですが これは仲由ではなさそうです。となると 熟れた桑の実を母に 熟れてないのを自分にと分けていたら 盗賊に同情されて牛足と米を貰った蔡順か。

二十四孝 蔡順?

旭市星宮神社↓の脇障子の蔡順に似ています。

二十四孝 蔡順
旭市星宮神社脇障子

十九.これは中央に釜があるので 母を養う為に口減らしに赤子を埋めようとして天から黄金の(詰まった)釜を授かる郭巨かくきょでしょう。

二十四孝 ?

二十.これは 夏の暑い夜に父の寝床を扇いで冷やしたという黄香こうこうですね。寝床を扇いでも涼しくはなりません。扇ぐならお父さんを扇がないと。。。でも もしウチの倅がこれをやってたら いじらしくて涙が出るでしょう。。。バカな子ほど可愛いと言いますから。。。一周回ってソッチか。

二十四孝 黄香

二十一.こちらは真冬に筍が食べたいという母の為に 雪山でタケノコを探す孟宗もうそうですね。天に泣きを入れたら タケノコが生えて来ました。

二十四孝 孟宗

二十二.これは 使用人や妻もいたのに 自ら母の大小便の便器を取り 朝から夕方まで母に仕えて怠けた事が無かった という黄庭堅こうていけんかな と思います。漢文帝かもと思いましたが こちらの母親の方が介護が必要っぽく見える と判断しました。 〜追記(2024.03.17)五が黄庭堅かも知れないという事になったので これは他の何かという事になります。そう思って見ると これは母の人形に孝行を尽くした丁蘭っぽい。追記終わり〜

間違い見当違いがあればご教示下さい。  〜追記(2024.03.18)二十四孝に詳しい小心さんに添削頂きました。追記終わり〜

という事で二十二人の親孝行な人たち。あれ?二十四孝筆頭の大舜たいしゅんがいない!

後でグーグルマップで確認すると 外側には各面五つづつ 計二十の蟇股がある筈ですが 正面中央は額に隠れて見えなかったのでした。外陣の額裏は確認したのに。。。きっと正面中央の額裏には大舜がいたに違いないと思います。

でも それでも二十三孝 1人足りない。。。

〜追記(2024.03.20)早速小心さんが確認に行って下さいました。正面中央の額裏には確かに大舜がいるそうです。ありがとうございます。

いつか近くを通れば再訪したいですが 辺りの寺社は行き尽くしちゃったしな〜。二巡目の時(!)に行こうかな。 追記終わり〜

刺青師・龍元

026(2024.03.16)

コメント

  1. 小心 より:

    滑河観音って二十四孝の彫刻があったんですね。朽ちないうちにいかないと(笑)
    顔の部分が破損しているものが多いですね。意図的に壊されたとしたら悲しいです。

    2 王裒、額の右手に見えるのは庾 黔婁の背中の可能性はないでしょうか。
    そうするとこの蟇股だけ二つの場面になりますが。

    5 これは黄庭堅っぽいですね。器はタライ型や注ぎ口のある急須型が
    ありますが、こちらは急須型ですね。

    9 柄杓が見えるので姜詩だと思います。柄杓の下にちらっと見えるのが
      鯉二匹なら確実ですね。

    12 これは難しい・・・。おそらく張孝兄弟だと思いますが、主役不在なので
    なんとも決め手に欠けますね。

    13 左の母親っぽい人は指を噛んでるみたいなので曽参でしょうか。
     右のほうに何かあるのが、薪ならば確実。

    18 この構図は蔡順ですねー。

    22 親のサイズが小さいからきっと木像ですね。丁蘭でしょうね。

    滑河観音は行ったことありませんでした。見やすい画像とともにご紹介して下さって
    有難いです。近いうちに行ってこようと思います。

    • 小心さん お待ち申し上げておりました。

      蟇股は廻縁に立っても4メートル以上の高さにありますから、誰かが壊したというのは考えにくいと思います。

      2.の右側は庾黔婁ですか。私もここだけ二つなのかなと思いましたが、ちょっと不自然?外陣には額がいくつもあったので、他にあったのかな?それも不自然かな?あるとしたら入り口の上かな?なんて事を考えてました。

      もし行かれるのであれば、外側正面中央の額裏を見て来て下さいね〜。

  2. onijiiです より:

    onijiiです。

    小心様へ
    二十四孝の所在地を記したリストを、
    龍元さんに提供させていただいてます。
    全て網羅している訳ではありませんが、
    参考になさって下さいね。

    龍元様、小心さんに提供していただいて
    構いません。よろしくお願いいたします。

  3. 小心 より:

    onijiiさま

    リスト拝見しました。情報量に圧倒されています。
    これから秩父や甲信越に行く計画もありますので、早速活用させて
    いただきます!ありがとうございました。

  4. onijiiです より:

    onijiiです。

    小心様
    お役に立てれば幸いです。

    何処になにがあるか?何が何処にあるか?が
    直ぐに分かるようにデーターベース化しよう
    と思い、調査をしています。
    その道の愛好家が喜ぶようなリストにしたい
    と思っています。

  5. 小心 より:

    龍元さん、どうもありがとうございます!祭壇と燭台、はっきりわかりますね!
    庾黔婁も喜んでいると思います。私のブログにもリンク張らせていただきます。
    この祭壇や燭台、肉眼では確認困難なので本当にありがたいです。

    • そうですね、一番喜んでいるのは庾黔婁とこれを彫った人ですね。

      文化財を有り難がり過ぎて非公開にするなんてのはもっての他ですが、額の裏や打ち捨てられた覆屋の中で人知れず朽ちて行くのも勿体無い事ですね。人々が鑑賞出来てこその文化財ですね。

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