令和五年二月下旬 群馬県前橋市の産泰神社に参拝しました。
立派な神門がありました。天保四年(1833)建立。
神門前では力神さまが灯籠を担いでいらっしゃいました。
台座正面には猩々。側面裏面は劣化してしまったのか 何が彫られているのか分かりませんでした。
左側の灯籠。
背中には冨房代と彫ってありました。多分、神門を建立した鯉登豊前守藤原富房の事だと思います。
こちらも台座正面には猩々が彫ってありました。
右面は亀。
左面は馬の様なもの。足の付け根に炎状の線があるので海馬と思いましたが 喉元が蛇腹状になっているので麒麟かも知れません。
拝殿です。
文化九年(1812)建立。大工棟梁は大隅流伊藤生兵衛一門の矢崎久右衛門元形(1762-1827)。茅野市の三輪神社や酒室神社を建てた人です。
見にくいですが 兎ノ毛通しは鳳凰 中備は玉巵弾琴。太真王夫人ともいいます。
「太真王夫人は支那列仙の一なり 王母の少女玉巵なり 一絃琴を弾ずる毎に 即ち百禽飛来するという 時に白龍に乗り周く四海を遊行すという」斎藤隆三『画題辞典』より
海老虹梁の龍。
左側の脇障子には二十四孝の江革がありました。
孝行息子の江革は母と二人暮らし。老いた母が揺り動かされるのを嫌がるので 県の戸口調査の度ごとに 江革は牛馬を用いず自ら車を引いて母を運んだそうです。
母はなぜ後ろを気にしているのでしょう?忘れ物でもしたのか?それとも追われているのか?
前歯の欠けた江革 ちょっとアホっ子。でも孝行息子です。
右側の脇障子も二十四孝から。
山で虎に出くわして「私を食べて良いからお父さんを助けて」と祈った 我らが楊香。
虎にヘッドロックを掛ける楊香。薄ら笑いを浮かべているのは恐怖のせい?だと思います。
宙を舞うお父さん。
手に持っている物は何?
飛んで行きます。
続きます。
刺青師・龍元
036-01(2023.03.31)
コメント
onijiiです。
石灯籠の力神が目当てで参拝しました。
進入路脇の石灯籠にも力神がいました。
拝殿、幣殿、本殿全てが彫刻で覆われて
いますね。
鑑賞がしやすいので、愛好家には嬉しい
神社です。
遠い信州からここまで歩いてきて彫った
とは、驚きですね。
Onijiiさんおはよう御座います。
進入路脇にも居ましたか。気が付きませんでした。見所満載の神社ですね。
境内社の金刀比羅宮も産泰神社の2年前に同じく矢崎久右衛門元形が建ててますね。歩いて来るだけでも大変ですが、仕事道具や資料なども考えるとかなりの荷物ですから、もはや引越しですね