刺青図柄の意味 平知盛

碇知盛 武者絵
碇知盛
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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新中納言 平知盛

平知盛(たいらのとももり)1152−1185
平安末期の武将。平清盛の四男。 

清盛に「最愛の息子」と期待され、貴族化する平家の中にあって武将としての頭角を見せた。謡曲「船弁慶」や浄瑠璃「義経千本桜」の主役として人気がある。刺青では「碇知盛」「船弁慶」などが人気。

源氏の蜂起

治承四年(1180)、後白河法皇の第三皇子である以仁王の令旨によって 源頼政 が謀反を起こすが、知盛は弟の重衡と共にこれを鎮圧した。しかし、この令旨をきっかけとして源頼朝が挙兵、各地で源氏が蜂起する。

治承五年(1181)、平家の総帥・清盛が死去。寿永二年(1183)、平家は倶利伽羅峠 (現在の富山県と石川県の県境) の戦いで 木曽義仲 に壊滅的な敗北を喫してしまう。この後、平家は都を維持する事が出来ず、一門で都落ちをする。

一の谷 (現在の神戸市辺り) の戦いで知盛は大将軍として鎌倉方大手軍を迎え撃ったが、源義経 軍の逆落としを受けて平氏軍は混乱に陥り海上に逃れた。

平家滅亡

寿永四年(1185)、壇ノ浦 (現在の関門海峡辺り) の戦いで鎌倉軍と最後の戦闘に及ぶが、追い詰められた一門は入水による滅びの道を選ぶ。

知盛は海に飛び込む時、遺体が晒し物になったり、生きたまま浮かび上がって辱めを受けたりするのを避けるため、碇を担いだとも鎧を二枚着たとも言われている。

碇知盛
碇をくくりつけて海に飛び込む知盛

亡霊となって宿敵 義経弁慶 主従に襲いかかる知盛「船弁慶」より

船弁慶

平家蟹

後の瀬戸内海では甲羅に武士の顔がある蟹が取れる様になり、平家の怨念であるとして今でも漁師の間では恐れられている。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。。。」平家物語

刺青師・ 龍元
刺青芸術工房 龍元洞

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