令和元年葉月吉日、狭山市の清水八幡宮に参拝して来ました。清水冠者源義高 が祀られています。
源義高とは 木曽義仲 の嫡男です。鼠を使う妖術使いとして刺青でも人気の画題ですね。
義高は11歳の時(諸説あり)父・義仲と対立していた源頼朝の元へ送られ、実質的な人質として鎌倉で暮らします。
のちに父の義仲が討たれると義高は謀反を疑われ、元暦元年(1184)鎌倉を脱出して武蔵国男衾郡を目指しますが、途中、近くの入間河原で謀反人として頼朝の追っ手に捉えられて斬首されました。詳しくは 刺青図柄の意味 清水冠者義高 をご参照ください。
由緒
御祭神 源義高
創建 元暦元年(1184)
再建 昭和34年(1959)
当時、哀れに思った里人が義高の遺体を埋め、塚を築いてケヤキの木を植えたそうですが、後にこの悲報を嘆いた頼朝の妻・政子が義高の霊を鎮めるために当地に壮麗な社殿を造営したと伝えられています。応永9年(1402)8月の入間川の大洪水で社殿は流され、現在の狭山市中央公民館付近にあった成円寺(現在廃寺)の境内に石碑が残されていました。元の場所は不明ですが、昭和34年現在地に再建されたとの事。
ちょっと残念な感じの扁額ですが、一時しのぎなのでしょう。
実を言うとこの神社には彫り物はありません。では、どこにあるのかというと、私の胸割り刺青のお腹部分に 義高 とその師匠の 頼豪阿闍梨 の彫り物があります。
。。。念願だった義高へのお参りができたので、次は、頼豪阿闍梨恠鼠伝(らいごうあじゃりかいそでん)の物語中で義高の父・義仲が参拝したとなっている義高の師・頼豪阿闍梨の祠にも参拝したいんですが。。。実在するとすれば多分、京都かなぁ。。。
。。。追記(19.09.05) どうやら、日吉大社東本宮前(滋賀県大津市)に「鼠の秀倉」というのがあって頼豪が祀られている様ですね。そのうちに行ってみます。
『義仲、日吉八箇の末社の内にある小さな祠を見つけ、これは如何なる神を祀るのかと問えば「…三井の長吏、実相房の頼豪が神になりたるにて候。こは鼠の秀倉といふならん…」』
追記終わり。。。
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