令和元年十一月吉日、長野県佐久市の大伴神社に参拝しました。
ここにはかつて伴野城があり、城跡は城山公園となっていて、本殿はかつての本丸に建てられています。南向き。
由緒
御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
明治四十三年(1910)現地の八幡社に近くの十二諏訪大明神を合祀して大伴神社とした
拝殿
向拝水引虹梁上には紅葉に鹿。ここに鹿っていうのはあまり見ませんね。角は折れてしまったのか、それとも角の生え変わりの時期の鹿を表現したのか、もしくはそもそも鹿ではないのか。。。
石垣の上に御本殿があります。
本殿東面
屋根の鬼板部分には阿形の鬼面。塚原諏訪神社 でもこの部分に鬼面がついてたなぁ。ここら辺の傾向なのか。
胴羽目は鶴が二羽。彫りが浅い様に思います。
脇障子には鹿と寿老人。
本殿背面
う〜ん、彫りが浅い。最初は波に岩かと思ったけれど、よく見るとなんかヒトデみたいな物が岩からニョロニョロ出てるし。。。更によ〜く見たら、どうやら亀が二匹いる様です。
本殿西面
こちらも鬼板には鬼面。呍形。
鬼を和英辞典で引くと demon デーモンとか devil デビル(悪魔)って出てくるんですよね。神社に悪魔の面があったら海外の人に日本人は悪魔崇拝者だって思われちゃうよ。鬼は神様です、荒神。訳を変えて貰わないと。
胴羽目は多分、鶴。彫りが浅くて、もはや頭は見えません。ってコレもよ〜く見たら体の下方に頭が有りました。
脇障子には巨霊人(きょれいじん)。
最初は董奉かと思いましたが、これの元絵と思われる、ほぼ構図が一緒の絵は巨霊人となっています。彫刻だと分からないけど、虎は白虎なんですね。六力神通の人で山を劈いて、黄河をまっすぐに通したそうです。
この部分は何ていう名前なのか分からないけれど、脇障子の上には兎がいました。東側のは脱落して寿老人の前に立てかけてありました。
デッサンは拙くないんだけど、どれも彫りが浅いんだよなぁ。予算の関係でそういう注文だったのか。
刺青師・龍元
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