令和七年六月中旬 埼玉県秩父市の小鹿野不動尊に参詣しました。

建造年などは不明ですが 成田山新勝寺から勧請されたそうです。

見事な彫刻で飾られた向拝。

兎ノ毛通の鳳凰。

唐破風下には黄石公と張良がありました。

「先生 沓です」

「よしよし お前は見どころがあるな 太公望の兵法書をやろう」

中備は子引き龍です。

二匹の子龍を連れています。

子龍のうちの一匹は鱗の形が違います。

堂宇右側面には 脇障子の他 組物間に十二支の蟇股など小ぶりな彫り物がありました。

脇障子は三国志演義序盤の名場面 三顧茅廬。いわゆる三顧の礼です。

当時すでに将軍として名を馳せていた劉備玄徳が 年若い諸葛亮孔明を3回訪ねて 3回目でやっと孔明在宅するもお昼寝中。

「先生はお昼寝中ですか。。。」玄徳は孔明の目が覚めるまで待ったと言います。

「奴は寝てんですぜ 帰りやしょう!」と張飛翼徳。 おや?これは何処かで見た構図です。

こちら↓は伊勢崎市の八斗島稲荷神社胴羽目の張飛。

「静かにせんか 貴様の髭に火をつけるぞ!」と義弟を叱る関羽雲長。

こちら↓は八斗島稲荷神社胴羽目の関羽。髭を捻る手は反対ですが ほぼ同じポーズ。

お昼寝中の孔明。

↓八斗島稲荷神社胴羽目の孔明も同じポーズでした。

八斗島稲荷神社胴羽目の劉備も左右反転の同じポーズ。寺社彫刻では良く見る構図なので 同じ彫師とする事はできませんが細部まで類似点がある様に思います。

堂宇後方に御本尊が納められていると思われます。蟇股は両側面に2点ずつ計4点で 四神がありました。中は確認できませんでした。

左側面。組物間に十二支の蟇股があり こちらの脇障子にも三国志演義の名場面がありました。

画題は 趙雲救幼主。

見失っていた幼君阿斗を発見 懐に抱いた 趙雲。

押し寄せる曹操軍の中を単騎駆け。

「若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事」

胴羽目が無いのは残念ですが 緻密な脇障子の彫り物だけでも十分見応えがありました。
刺青師・龍元
065(2025.10.08)
コメント
onijiiです。
唐破風下が人物2、脇障子が人物4と
刀持つ馬上の武人と人物3と記して
ました。
ありがとうございます。
お役に立てて嬉しい限りです。