令和六年七月下旬 神奈川県愛川町の菅原神社に参拝しました。
御祭神 菅原道真公
社殿の中には立派な御本殿が鎮座していました。
向拝の龍です。
鱗は小さ過ぎず トゲも細かくなり過ぎず 遠目にもくっきりとした造形です。
右面胴羽目と背面胴羽目はセットで 黄石公と張良です。
始皇帝の暗殺に失敗した張良は 下邳という町に身を潜めていた
ある日 張良が橋の袂を通りかかると 汚い老人が 沓を橋の下に放り投げた
『おい若いの 下りて沓を取ってこい』
張良は殴りつけてやろうかと思ったが 相手が老人なので我慢して沓を取って来た
『履かせろ』
張良は『すでに拾ってきてやったんだから』と考え 老人に沓を履かせた
『5日後の早朝ここに来い』
5日後の朝 日が出てから張良が行くと 老人は既に来ていた
『遅い! 5日後ワシより早く来い』
5日後 夜が明ける前に 再び行くと 老人はまた沓を落とした
その時 大蛇(龍)が現れて沓を取り 張良に襲いかかった
張良は剣を抜き 剣の光を恐れた大蛇から履を取り戻して 老人に穿かせた
老人は張良に一編の書物を渡した
『これを読めば王者の師となれる』
授かった書は太公望の兵法書で 張良は不思議に思いながらもこの書を繰り返し誦読した
後に 張良は軍師として 劉邦の天下統一を助け 漢の三傑の一人に数えられる様になる
左面胴羽目は菊慈童。
慈童は穆王の寵愛を受けますが 官人の妬む所となり 過失を嫁せられ深山幽谷に流刑になります
哀れに感じた穆王は 慈童に偈(仏を讃える詩)を与え 慈童は忘れないように それを菊の下葉に記しました
その菊の葉の露は谷の水に滴り 病気が治る霊泉となって 麓の村へ流れました
800年後 霊泉の調査にやって来た勅使は 少年の姿をした慈童を発見します
慈童は菊の露を飲んで 不老不死の仙人になっていたのです
なんとも言えない不思議な魅力のある彫刻でした。
時が止まった感じがたまらない神社です。
刺青師・龍元
072(2024.08.22)
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