令和三年十一月下旬、埼玉県長瀞町の宝登山神社に参拝しました
約1900年前創建
御祭神 神日本磐余彦命=神武天皇 大山祇神 火産霊神
拝殿
拝殿彫師 飯田岩次郎
物凄く煌びやかです
彩色というのは結構難しくて、ナンチャッテな感じになる事が多いですが、ここのはすごく良いですね
脇障子は案内板によると「赤兎馬を駆る関羽」となってます でも関羽自慢の長い髯がありません どうなってんのか?
梁上の小壁には二十四孝シリーズがありました
左から、母を養う為に口減らしに幼い子を埋めようとして黄金の釜を掘り当てる郭巨
真冬に魚が食べたいという継母のために、川の氷を体温で溶かして魚を手に入れた王祥
父と継母と弟に殺されそうになりながらも孝行を尽くしたら、象と小鳥に畑仕事を手伝ってもらって、のちに許由が穢らわしいと断った帝の地位を尭帝から貰う事になる大舜
歯の無い姑に乳を与える唐夫人 やはりこれが一番人目を引きますね 見た人は皆ニヤニヤ呆れ顔
正面に廻ります 丸山 円山応挙風の孔雀と牡丹
隣には四神がありました まず玄武と朱雀
額を挟んで白虎と青龍 青龍の青は実は緑です 「青信号」とか「青々とした葉」の青です
正面小壁一番左には鳳凰がありました
彫り物一つ一つに寄進者でしょうか、銘が彫ってあります
左面の一番右は、目の悪い両親の為に目に良いとされる鹿の乳を絞ろうとして鹿の皮を被っていたら、猟師に「紛らわしい格好すんな、射殺するところだっただろ!」としぼられる郯子 なんかアラブ人みたいですね
何やってんだろ?という目付きで側を通り掛かる仲由 親孝行したい時には親は無し 若い頃は貧しく、米俵を運ぶ仕事をして苦労しましたが、金持ちになった頃には親は亡くなっていました 二十四孝準レギュラー
その隣には、山で虎に出くわして「私を食べて良いから父を助けて!」と虎の前に立ちはだかる孝行娘の楊香がありました
その隣には、虎などには目もくれずに、病床の母の為に真冬にある筈のない筍を探す孟宗です
一番のお目当てはこの拝殿左側脇障子 前情報では三国志演義の趙雲救幼主ですが、ただ中国の武人風の人が馬に乗っているだけに見えます
反対側の関羽が怪しかったので、こちらも怪しいんではないかと思って確認に来ましたが、裏面にはしっかりと蜀帝・劉備玄徳の嫡子である幼主・阿斗が彫られていたので、これは趙雲救幼主で間違いないでしょう
したり顔の阿斗
劉備の死後、暗愚の帝・劉禅となり、臣である諸葛孔明やその跡を継いだ姜維を苦しめます 蜀がついに魏に呑み込まれてしまってからも嬉々としている様は、暗愚を通り越して脳タリ〜ンです
読んでるこっちがイライラします
吉川英治版三国志に至っては、孔明の死後を語る必要なしと端折ってしまった程です
御本殿
御本殿には胴羽目はありませんでしたが、脇障子に良い彫り物がありました
西王母と、蟠桃を盗み食いして800年生きたと言われる東方朔
その裏には唐獅子が彫られていました
左側脇障子の裏面も唐獅子です
左側脇障子の表面は黄石公と張良でした
豪華絢爛とは正にこの事、実に見事な彩色の彫り物でした
刺青師・龍元
159(2021.12.17)
コメント
onijiiです。
写真がとても綺麗ですね。
先輩方のブログを見て、彫刻ファンが
増えていると思います。
毎回楽しみにしています。
そう言って頂けるととても嬉しいです♪
ファンが増えてもっと宮彫りが大事にされる様になると良いですね。