令和七年四月上旬 栃木県日光市の黒川神社に参拝しました。

大同元年(806)創立
寛政七年(1795)現本殿造営
大正八年(1919)覆屋造営
御祭神 経津主命

正面
拝殿は無く 御本殿に覆屋を架けた社殿です。

左側脇障子は菊慈童です。

穆王の寵愛を受けた慈童。
官人の妬む所となり過失を嫁せられ 深山幽谷に流刑になります。
数百年後 少年の姿で発見された菊慈童。
菊の露を飲んで不老不死の仙人になっていたのです。

正面扉左脇の龍。

一説によると 目線が上を向いている龍は 登り龍。確かに これを下り龍というのは違和感があります。

向拝の龍です。

扉の右脇板の龍。

左側もそうでしたが 体の大部分が雲に隠れています。

右側脇障子。これはどなたでしょう?滝があるから李白観瀑かと思いましたが 雰囲気が’少し違う感じ?

もしかしたら 霊泉の調査にやって来て慈童を発見した勅使かも?
なんか携帯を耳にあてて話しているみたいです。
「お世話になっております〜 えぇ 只今現場到着です〜 なんか少年が踊っているんですけども〜 どの様に エェ えぇ 了解です〜」

でも最近は 電話で話す時に携帯を耳にあてないらしいですね。


右面

胴羽目は布袋と唐子。

「なぜ布袋と唐子の取り合わせが生まれたかは判然としないようだが(中略)中国では既に南宋時代 十三世紀半ば頃には制作されていた(南山士雲賛 布袋唐子図 山本英男)」という位 古くからの吉祥図柄です。

背面

これは何だかさっぱりでしたが ダラダラボッチさんの神社に隠れていたもの によると これは西施という中国四大美女の一人。

「越王の勾践が 呉王の夫差に 復讐のための策謀として西施などの美女を献上。夫差は彼女らに夢中になり呉国は弱体化。ついに越に滅ぼされることになる」とWikipediaの西施の頁にあります。

王を惑わす程の美人て どんな美人なのでしょう?

左面

こちらも判らなかったので ダラダラボッチさんの神社に隠れていたもの を参照すると これは「井出の玉川」という藤原俊成が詠んだ歌を表現した物。

「駒とめて なお水かはむ 山吹の 花の露そふ 井手の玉川」(馬を止めてやはり水を飲ませよう 山吹の花の露が加わる井出の玉川で)

「井手の玉川」は「日本六玉川」の一つで 山吹の名所として知られ 古くから和歌に詠まれているそうです。

風流ですなぁ。

刺青師・龍元
039(2025.05.26)
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