令和三年三月、埼玉県長瀞町の小坂諏訪神社に参拝しました。
正和元年(1312)勧請
弘化元年(1844)社殿再建
令和二年(2020)本庄第一高校美術部の手で五年掛けて彩色修復完了
御祭神 建御名方神
向拝周りの彫り物の部分だけが綺麗になってます。10年くらい前の写真では古ボケて写ってましたから、きっと綺麗にする技術があるのでしょう。
これがそうなのかは分かりませんが、微粒子をコンプレッサーで吹き付けて彫り物の表面を薄く削っているのをネットで見た事があります。
兎の毛通は鳳凰。
唐破風下には麒麟がありました。
水引虹梁上の中備は、西王母の娘の玉巵が奏でる一絃琴の音色に龍が聴き惚れる、玉巵弾琴。
水引虹梁とその下の持ち送りでは可愛い亀たちが競争をしていました。
梁上の小壁と斗栱間の中備、その上の支輪が綺麗になっていますね。これが本庄第一高校美術部が手掛けた部分でしょう。
全面通して支輪は鶴、中備は応龍です。小壁には二十四孝がありました。
↓一番右端は楊香。やや!14歳の女の子である筈の楊香がつるっ禿げ!
各二十四孝の彫り物には高校生による丁寧な解説板がありました。それによると楊香は男性という事になっています。アレっと思って家でグーグル先生に尋ねると「普通は女性だが男性という解釈もある」との事。なるほど。勉強になります。
↓二番は郭巨。むむむむむ。高校生の仕事にケチを付けたくはないのですが、郭巨が白髪のおじいさんです。
これは郭巨のお母さんを食べさせる為に口減らしに自分の子供を埋めようとする話なんですけど。。。これでは郭巨のお母さんはいくつになる計算なのだ?ってか、郭巨はヒゲが真っ白になる年になっても「子供はまた作れば良い」と割り切れる精力絶倫男。
↓正面の右端は二十四孝の郯子。これは鹿の乳を絞りに行く途中の場面ですね。
↓その隣はちょうど扉の上で小壁には龍が彫られていました。
↓正面左側小壁。これは何でしょう?二十四孝にこんなのあったかな?小川が流れているので、もしかしたら姜詩?でも、魚がいない。なんか手つき足つきを見ると70歳を過ぎても赤ちゃんのフリをして両親を楽しませた老莱子の様にも見えます。
↓家にいるのは姜詩のお母さんと奥さんか。それとも老莱子の両親か。と思って拡大してみるとナント、両人ともおヒゲを生やした男性でした。白髪のジジイが三人出てくる話ってあったっけかな?
困った時には解説板見りゃいいじゃん!って思いましたが、四番だけ解説板がありませんでした。
私が参拝した10日ほど前に修復完成の感謝式みたいのがあってネットに写真がありましたが、その時点で既に四枚目の解説板が無くなっていました。もしかしたら誰も分からなくて初めから解説板が無いのかも。。。
↓左面右側の小壁は、両親に殺されそうになりながらも孝行を尽くした大舜。
↓左面左端は孟宗。家にいるのはタケノコが大好きな母のハズなんですが、まさかと思って見てみると、実は白いおヒゲを生やしています。もう拡大写真は載せません。この神社では玉巵以外の大人はみんな白いおヒゲを生やしています。
ところで、この面だけ中備が化け鯉です。
脇障子には見事な白木の彫り物がありました。これも綺麗になっています。
亀に乗る盧敖仙人。
真新しく見えます。
鑿痕もくっきりしています。
本当は新しいんじゃないかと思っちゃいますが、10年くらい前に訪れた人の写真を見ると古びているので、少なくとも数十年は経っていると思います。
左側の脇障子。
こちらは梅妻鶴子の林和靖。
梅と鶴をこよなく愛する詩人です。
笙を吹く童子。
鶴に餌をやる童子。
御本殿はというと、覆屋にガッチリ守られていて観る事は出来ませんでした。
刺青師・龍元
058(2021.04.18)
コメント
onijiiです。
新品になってますね!
ショットブラストという手法だと思います!!
これは目からうろこのやり方ですね!!!
彩色の修復は5年の歳月をかけたようですね。
後世語り継がれることでしょう。
二十四孝を理解していなかったようですが・・・。(笑)
ショットブラストというのですか!
これは新品になりますね。ヒビが無ければ分かりませんね。
高校生による解説板は問題無かったんですがね。色を指定した人が理解して無かった様ですね。