令和四年九月上旬 栃木県鹿沼市の日枝神社に参拝しました
延暦二年(783)勧請と言われる
延暦二十年(803)勧請とも言われる
御祭神 大山咋命 大物主命
御本殿覆屋側面と背面にはかなりの高さまで板が張られているので 前から以外は中を直接窺う事は出来ません
意の如く伸び縮みする如意棒を使って中を見ると 噂に違わぬ流麗な彫り物が施された 見事な御本殿が鎮座していました
脇障子の菊を見ると かなり繊細な彫り物だと言う事が分かります
ここの御目当ての一つ 海老虹梁の鳳凰 花はもちろん桐
海老虹梁に鳳凰はかなり珍です
この繊細さは並大抵ではありません
胴羽目は鷹と蛇 花は桜でしょうか
腰羽目には波に巻貝と二枚貝
二重虹梁間には鶴に牡丹 これは珍しい組み合わせで 鶴には普通は松か竹です
その上の妻壁には此処の一番の御目当て 稲妻と共に雲間に現れる九尾の狐
玉藻前に化けて鳥羽上皇を操ろうとするなど 日本三大悪妖怪の一つとして知られますが元々は瑞獣です
背面に廻ります
背面胴羽目は鶏の親子 花は梅の様です
頭貫の上には瓢箪 その上の斗栱間には柘榴と菊です
背面は側面より更に一段上まで板が張られていましたが こんな時の為に如意棒は二本繋いで使える様に改造してあります
改造って言っても穴開けてタップでネジ山切っただけですが… 2本繋ぐと理論上4m以上の高さに対応出来ます
左面胴羽目は鶴の親子
こちらは定番の松が合わせてあります
頭貫上には瓢箪 斗栱間には杜若と 右の花は何だろう 大虹梁の上には鶴と牡丹です 亀もいます
その上には九尾の狐
上を向いています
こちら側も海老虹梁は鳳凰
手挟みには錦鶏です
もはや構造材としての役目を無視した繊細さです
この目に吸い込まれてしまいそう 目視出来なくて良かったのかも
向拝中備には龍 浜床下には波に魚とか貝とかがありました
前側には大きい隙間が沢山あって楽に撮影出来た筈なのですが 如意棒に夢中になり正面はこれ一枚です
九尾の狐と腰羽目の貝以外は花と鳥尽くしで通常ならガッカリする所ですが 一緒に来ていた鈴右衛門の事はすっかり忘れてシャッターを切り続けました
刺青師・龍元
122(2022.10.07)
コメント
海老虹梁は酷いですね!!構造体として役目を果していませんね(笑)って、
冗談抜きで海老虹梁は凄すぎますね!! 花と鳥尽くしで通常ならガッカリする所 分かります、彫刻巡りを始めたころは、分かり易い獅子、鳥、虎、龍が当たりで、24考、仙人系は外れ的な印象でしたが、今では、仙人系・神話系の意味不明系が当たりな感じになっています。
海老虹梁は繊細さで言えばここが最高ですね。
難解画題解明の面白さに勝るものはありませんが、ここはそれ無しでも良かったですね。
また参拝したいと思います。
onijiiです。
群馬の探求道の方に教わりました。
こちらの彫刻は素晴らしいですね。
鳳凰、鷹、鶏、鶴カッコいいです。
九尾の狐なのですか。
鶴の嘴にも痺れました。(笑)
妻飾りが九尾の狐なのかは、正直いうと完璧な自信がある訳では無いです。一つは尾っぽが毛の様な感じだし、もう一つも尾が9本ある様な無い様な。。。
もっと正面から撮れば良かったです。背面では如意棒を二本連結しましたが、側面は一本で撮ったので下から見上げる感じになってしまいました。なぜ二本繋いで撮らなかったのか。。。今思えば悔やまれますが、現場では思いつかなかったとしか言いようがありません。
再訪しようと思います。
こんにちは。
こちらの彫刻は本当に素晴らしいですね!大好きな神社の一つです。
私は人物の彫られたものが好きなので、正直なところ最初はなーんだと思ってしまいましたが、その緻密さには圧倒されました。特に海老虹梁には痺れました!私の好きな海老虹梁第一位です(笑)それにしても脇障子の緻密さを見ると小林源太郎にも匹敵する超絶技巧の持ち主に思えますね。もし他の寺社にも彫刻を残しているならぜひ見てみたいものです。
ところで九尾の狐についてですが、室町時代に玉藻の前が初めて登場した時は二尾だったようですね。おそらく後から中国やインドの伝承と結び付けられて九尾に変わってしまったのだろうと私は考えています。こちらの神社の狐は明らかに妖狐だと思える不気味さですが、私には残念ながら尾ははっきりと九尾には見えません。なのでもしかしたら日本古来の伝承に基づいた姿を表したものなのかもしれないと考えてみました。
長文すみません(;´▽`A“
龍元さんの4mには敵いませんが、私も如意棒を少し強化しましたので再訪したいと思っています。
Shin-Zさん こんにちは
近隣の天満宮や厳島神社もかなり細かいですが、こちらが最高ですね。この近辺はレベルが高いです。
そうなんですよね。onijiiさんのコメントにも返信しましたが、尻尾の数がいまひとつ合わないんですよね。この作風からすると江戸末期から明治にかけての建立だと思うのですが、その頃には国芳や北斎の浮世絵にもある通り既に九尾の狐の伝説は確立している筈なのに、わざとなのか他の物なのか……という所で少し迷いがあります。
4mというのは如意棒自体の長さではなく、如意棒を持った手を伸ばしての高さですから、かなりフラフラします。脚立を併用すれば5m行けます。理論上です。危険なので多分やりません。