令和六年 新年寺社彫刻巡礼の旅 第八社目 千葉県多古町の宇賀神社に参拝しました。
長〜い参道を進みます。
応永十年(1403)勧請
御祭神 倉稲魂命
御本殿は 玉垣+屋根+庇 でかなり厳重に守られています。
何よりこの御本殿と一体化した 大きな庇が特徴的です。
胴羽目は二十四孝から 閔子騫。
継母は冬になると実子には綿入りの着物を与えたが 閔子騫にはヨシの穂を入れた着物を与えた。やる事は酷いですが 見た目は天女の様なお母さんです。お父さんが惚れるのも無理は無い。
それを知った父は激怒し 継母を追い出そうとした。非常に怒ってます。
閔子騫は「母上が去られては 3人の子供は凍えます。(どうせ)私1人が凍えていれば 弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」と言った。ちょっと拗ね気味。。。
お寺の小坊主みたいな 閔子騫でしたが 気を取り直して脇障子を見てみます。
翁と媼がいるので 高砂か? と一瞬思いましたが。。。
じゃあ 手前の仲居さんみたいなオバさんは一体誰? ハイ これは七十を過ぎても赤子の仕草をして老親を楽しませた 老萊子でしょう。
う〜む 奥が深い。。。
二重虹梁間には 羽交締めにされた宇宙人?みたいな物がありました。
ズームしてみると これは大黒天と布袋尊が 一杯やっている所。 大分出来上がっている様です。
背面もかなり厳重。こんなに素晴らしい彫刻があるという事は 遠目にはまったく分かりません。
胴羽目は唐獅子牡丹。 白い牡丹は綺麗ですが 白い背景に白い唐獅子ってどうなの?
でも 埃が積もって 立体感が強調されてるから 結果オーライかも。
上の組物間の唐獅子も白なので これを塗った人の中では「唐獅子=白い」だったのかも知れません。
その隣には笹に虎がありました。
左面です。
大虹梁上には 甲冑に身を固めた武人と鬼が彫られています。
これは 仏舎利(釈迦の遺骨)を盗んだ捷疾鬼を捕まえる韋駄天です。
胴羽目。
これも二十四孝から 漢文帝でしょう。
これは文帝の生母の 薄太后。 頭を剃り上げていて まるでお爺さんの様です。
文帝は帝でありながら 母に孝行を尽くし 自ら毒味・給仕をするほどであった と言います。
脇障子は 二十四孝から 大舜。 鳳凰バージョンで非常に心強いです。
両親からの虐待に耐えて 親孝行をしたので(←このくだりが一番疑問)象と小鳥が畑仕事を手伝ってくれました。
友人にそっくりな顔の奴がいます。境遇はまったく違って 非常に恵まれた奴です。
塗りも含めて 非常に味わい深い彫り物でした。
刺青師・龍元
008(2024.01.23)
コメント
onijiiです。
彩色は専門家でないと、小学生の
塗り絵的になることが多いですね。
こちらの神社は用いた色も多く、
絵心がある方なのでしょうね。
遠目に凄いなあと感じました。
Onijiiさん こんにちは
上手い下手の前に、まず描かれている物を知らないととんでもない事になりますね。と言う私も、寺社彫刻巡りにハマる前は二十四孝なんて全く知りませんでしたから、偉そうな事は言えないんですが。
でも、旅館の仲居さんが老萊子である事に気付いた時は小躍りしました。これだから、寺社彫刻巡りはやめられません。
老莱子はもう仲居にしか見えません。
老萊子 職業は仲居さんです。