令和三年九月下旬、栃木県芳賀町の大悲山普門院観音寺の観音堂に参詣しました。
本堂の隣に観音堂があります。
創立年不詳
享保十六年(1731)現観音堂建立
御本尊 聖観世音菩薩
向拝
向拝中備には龍と黄石公らしき彫り物がありました。しかし、沓を差し出す張良がいません。龍に敗れてしまったのでしょうか。
黄石公もまさか張良が龍に敗れるとは思ってなかったでしょうから、沓を片方失って、さぞ悔やんだ事でしょう。「チッ、わしの見込み違いだったか。。。」
向拝柱です。
龍が彫られています。
右面
向かって左の胴羽目。地紋彫りが彫られ、中央の雲形に縁取りされた中に老人が四人と童子が一人います。
右の胴羽目には老人が三人と童子が一人。二面で一組、四人と三人で竹林の七賢だと思います。
背面
一番左の胴羽目です。どうやら団扇の様な物の上に座っています。たまに見掛けますが、どなたなのかは存じ上げないので、今のところ仮に団扇仙人と呼んでいます。
真ん中は亀仙人の盧敖。別名を黄安とも言いますが、元々は違う仙人だったそうです。
右の胴羽目には剣に乗る仙人。剣仙人を呂洞賓とする事もある様ですが、私は鍾離権という事にしています。
北斎漫画には剣仙人は上利劔として描かれています。
田中伝という人の 岸駒・呉春合作「郡仙図屏風」の成立時期と描かれた仙人 という研究によると、「曲亭馬琴の読本「俊寛僧都嶋物語」には『鍾離権と、画くに、剣を筏にして水を渉る図あり』という記述があり、馬琴は『権と劔とその音近し』事から鍾離権と上利劔を同じ仙人と認識していた様だが、これはあくまで日本語の音の話で〜云々」と更に深掘りしていて面白いので興味のある方は読んでみてください。
左面
左側の胴羽目は李白観瀑。李白は詩人として有名ですが、支那仙人列伝(←旧仮名遣いですが現代日本語で書かれています)には龍仙人として載っています。
最後は梅と鶴をこよなく愛した詩人の林和靖。結婚もせず、俗世を離れて気ままに風雅に暮らす事を梅妻鶴子と言うそうです。私の友人にもそういうのが一人います。
私も若い頃は世捨て人に憧れたものですが、世に揉まれ現実を知りました。でも、最近はまた憧れ始めてます。
刺青師・龍元
140(2021.11.11)
コメント
onijiiです。
人物尽くしですね。
昔は世捨て人が何人もいたんですね。
七賢人は一体何を話しているんだろう?
昨日食べた筍が美味かったなあとか。(笑)
実際は七賢人は役職に就いてたりしたらしいですね。まあ、霞を食べて生きては行けませんよね。
私の友人は親の遺産があるので、やりたい事だけやって細々と暮らしてます。でも大金持ちではありません。世捨て人みたいです。