令和五年一月中旬 群馬県高崎市の赤城若御子神社に参拝しました。
大化年間(645-50)創立
御祭神 豊城入日子命
天明二年(1782)本殿築造
大工 田沢 関口文治
彫工 関口仙治 他門人二名
昭和初期拝殿向拝増築
拝殿向拝彫工 熊谷源太郎八代孫 新井松雲
昭和初期に増築されたという 非常に立派な向拝唐破風の懸魚には龍の彫り物がありました。
中備は須佐之男命の八岐大蛇退治
顔に蜘蛛の巣があって 眉根を顰めた須佐之男命です。
頭が大きくコミカルな感じですね。
大きく立派な唐破風には繋ぎ虹梁があって その上にも中備がありました。唐獅子牡丹です。
こちらは右側。どちらも親子ですね。
須佐之男命の裏側には「彫工 熊谷源太郎 八代孫 熊谷の住人 新井松雲作」と銘がありました。
さて御本殿を見てみます。
全体の写真は撮り忘れました。彫工の関口仙治は大工の関口文治の息子の様です。
向拝中備は 生魚を食べたがる継母の為に凍った川に入って魚を獲ろうとしたら 氷が溶けて二匹の魚が飛び出してきた 二十四孝の王祥だと思います。
左側脇障子は 人物の足元にお釜があるので 母を養う為に口減らしに子を埋めようとしてお宝をゲットする 二十四孝の郭巨。でも奥さんも子供もいないです。反対側にいるのかな?
右脇障子。これは奥さんには見えませんね。
裏へ廻ります。桟の入ったガラス窓に木製の格子。
立派な金精さまにびっくりしましたが 幸いガラスは綺麗で 格子や窓の桟の間隔は広めです。
右側脇障子は 筍好きの母の為に 雪山に入り有る筈の無い筍を探す 二十四孝の孟宗でした。
胴羽目は 帝の枕を越えた罪で流されて 彼の地で菊の葉の露を飲んで仙人になった 菊慈童。枕慈童ともいいます。
調査報告書によると 背面にも胴羽目がある様ですが 窓が無いので確認できませんでした。
左面胴羽目は 見事な滝に心打たれて詩を詠んだという 李白観瀑。
日は香炉を照らして 紫煙を生ず
遥かに看る瀑布の 前川に挂かるを
飛流直下 三千尺
疑うらくは是銀河の 九天より落つるかと
拝殿の破風を見上げると 応龍がありました。こちらは右側です。
応龍の影に隠れて ひっそりと邪鬼獅噛みが。
こちらは御本殿覆屋の背面。妻飾りは鳳凰です。
大瓶束の邪鬼獅噛み。素晴らしいです。
こちらは拝殿左面の妻飾り。
もしやと思って拝殿正面の千鳥破風を確認。残念ながら無い様です。
千鳥破風というのはこの部分↓です。
側面と背面の入母屋破風↓とは構造が違うので ここ↑には無いのかな と思いましたが。。。
この角度でチラッと見えました。
懸魚の応龍の後ろをこの角度で覗く人はそう沢山は居ないと思いますが こんな見えない所にも情熱を注ぐヘンタイ職人魂に感動です。
日本の伝統刺青も 見せて歩く訳でも無いのに全身に入れてる人が居るって事に 欧米人はびっくりしてます。日本人ってヘンタイなんだなぁ とつくづく思う今日この頃です。
刺青師・龍元
026(2023.03.03)
コメント
onijiiです。
獅噛、大変ありがとうございます。
ここを覗くのは参拝者の0.000・・・1%?
私は必ず覗くヘンタイでございます。(笑)
本殿の彫刻は柔らかい印象を受けますね。
さっそく行きたい寺社リストに入れました。
onijiiさん おはようございます。
金精さまといい、獅噛みといい、onijiiさん好みだと思いました。
ハイ、onijiiさんはかなりハイレベルのヘンタイでございます。先日、寺社彫刻巡りの師に「このブログにコメントする人は曲者(褒め言葉)ばかりだ」と言われました。
関口文治というのは関口文治郎の事だと思うんですが、ググると、文治郎には仙次郎と松次郎という息子がいたみたいですね。関口仙治も中々の腕前の様です。
こんにちは。向拝中備の人物、右手には何か掴んでるのでしょうか?
王祥にしては高齢っぽいことと、服を着てるのが気になりますね。
じゃあ誰?と言われてもわからないのですが。
小心さん こんばんは
右手には何も持ってないです。両手を広げて今まさに魚を捕まえようとしている様な感じですね。白く見えるのは背後の扉上支輪が透けて見えているのだと思います。
確かに年を取り過ぎている感じですよね。服を着ているのも気になったのですが、一応 Wikipedia で確認すると、服を着ている王祥像(多分中国)の写真があったので、これも有りなのかなと思いました。他に脇障子との兼ね合いもありますし。
Wikipediaで王祥を見てきました。服着て捕まえてますね!
本殿の脇障子とかじゃなくて、センター位置に王祥が
あるというのも珍しい気がします。勉強になります!
そうですね。金精さまと獅噛みに気を取られてしまいましたが、確かにこの位置に二十四孝は劇珍です。見所沢山の社ですね。