令和八年九月上旬 栃木県那須町の大沢天稲荷神社に参拝しました。

案内板や石標を見つけましたが 誰かの家が建っている他には 鳥居もそれらしき建物も見当たりません。

石標があるのだから 神社もあるはずと思い 民家の塀沿いをさらに進みます。

何だかとんでもない事になって来ました。

なんとか竹藪をくぐり抜け 神社の脇に出る事が出来ました。どうやら案内板の裏の民家の前を通って来るのが正解だった様です。

宝暦・明和の頃(1751-72)占術に秀でていた高根沢センという人物が 稲荷神を深く信仰して社殿を建てたことが始まり。現在は子孫の高根沢家3戸が祀っているそうです。

御本殿は天明六年(1786)頃の造営だそうです。

この日はあいにくの雨。というか九月に入ってからウンザリする程毎日雨続き。屋根があるのは有り難かったです。

正面唐破風大棟鬼板の鬼面。

横から見ると 鼻は案外潰れていて 下顎は省略されています。

左側面の大棟鬼板にも鬼面。こちらは下顎があります。

右大棟鬼板。両側ともに阿形です。

向拝です。

尾垂木の龍とか蜃とかが凄い事になっていて 海老虹梁との境目が分からなくなっています。

海老虹梁も 龍の尾が跳ね上がっていて 手挟みに干渉しそうな程。

向拝中備は 松に猛禽。ほとんど丸彫りです。

向拝柱には龍が巻き付いています。

これは一本の木材から 龍ごと削り出したものと思われます。


雨降りの夕刻だったので 中は非常に暗いです。

左側にも増して 海老虹梁・尾垂木・手挟みが一体化しています。

脇障子は 椅子に座り 冠を戴いた偉そうな人。これは反対側の脇障子と対になると思われるので 其の二で考察します。

組物間・支輪などにもこれでもかと彫り物が施されています。

胴羽目は 唐子の獅子舞。

非常に深彫りです。

手前の唐子は 欠損してしまった頭の代わりに とりあえず木片をくっつけた感じ?

軍配を振る唐子。

縁の下には力持ちがいました。

角はありませんが 3本爪・牙などから勘案して 邪鬼型力神に分類できます。

安定感バッチリです。

黙々と社殿を支え続ける力神さま。

二百四十年の間 文句も言わずに社殿を支え続けて来ました。

まさに縁の下の力持ちです。

其の二に続きます。
刺青師・龍元
046-01(2026.09.21)


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