令和六年十一月上旬 千葉県千葉市の諏訪神社に参拝しました。
天保七年(1836)本殿再建
昭和四十三年(1968)幣殿・拝殿改築
本殿胴回り彫刻 竹田重三郎の作と推定
拝殿向拝の龍 嶋村俊元八代 嶋村俊表
御祭神 健御名方命 下照姫命
拝殿
向拝の龍。
嶋村俊元八代 嶋村俊表 の龍です。
嶋村俊表の彫り物は 川越氷川神社や木野目稲荷神社 でも拝観しました。
中備の裏には銘がありました。
「東都鐫工 嶋村俊元八代 嶋村俊表鐫○○」とあります。
鐫というのは セン・ほ(る)と読み 彫る・穿つ という意味がある様です。「嶋村俊表鐫○○」 鐫の次は 之? 文? その次の字は見当もつきません。
御本殿
御本殿彫師は竹田重三郎と推定されているそうです。
竹田重三郎と竹田重三良は同じ人だと思いますが 白井市の鳥見神社 結城市の諏訪神社 もこの人です。
脇障子は二十四孝の唐夫人。
歯が無くて食べ物を咀嚼できない義母に 母乳を与えました。直にです。
Wikipediaによると 本殿向拝中備の龍の裏側に刻銘があり 向拝周りは島村田宮定直が修復しているそうですが 幣殿があるので残念ながら 外からは確認できませんでした。
胴羽目は西王母です。
天界にある瑶池と蟠桃園の主人であり 最上位の女神 人の寿命を支配するとも云われます。
蟠桃園の桃を捧げ持つ従者。
縁下には唐獅子の親子と虎の彫り物がありました。
角には鯉があります。
背面です。
胴羽目は菊慈童。
穆王の寵愛を受ける慈童は 官人に妬まれ深山幽谷に流刑になりました。 哀れに感じた穆王に偈(仏を讃える詩)を与えられた慈童は それを菊の下葉に記しました。
その菊の葉から滴る露を飲んで 慈童は不老不死の仙人になりました。
縁下の彫り物。こちらには唐獅子と龍がありました。
左面です。
胴羽目は 鹿がいるので寿老人の可能性も無くはないですが 右面が西王母だったので これは東方朔の可能性が高いと思います。
東方朔は前漢 武帝の頃の実在の政治家で 西王母の蟠桃を三つ盗んで 八百年生きたと云われます。
縁下の唐獅子と虎。
大事な所も手を抜きません。
脇障子は 二十四孝の大舜。
実の父と継母・義弟から壮絶な虐待を受けますが それでも孝行を尽くした!ので 象と小鳥が畑仕事を手伝ってくれました。
小鳥は見当たりませんでした。
西側参道から社殿脇まで車で行けますが 車幅ギリギリの急坂です。
そういうの好きです。
刺青師・龍元
092(2024.11.26)
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