令和三年六月、埼玉県深谷市の伊奈利大神社に参拝しました。
創建年不詳
嘉永二年(1849)社殿焼失 神殿は塗り替えのため、隣の長養寺に移されていたので焼失を免れる
嘉永五年(1852)現社殿再建
御祭神 倉稲魂命
向拝の龍。
拝殿内部。
拝殿内には源頼光一行の酒呑童子退治の絵馬が掛けられていました。
裏へ廻ります。
可動式二重格子は開けられていましたが、所々中途半端な位置で固まって動かなくなっていました。
覆屋の中には見事な極彩色の御本殿がありました。往時はさぞかし煌びやかだった事でしょう。嘉永二年の火災の時には、塗り替えの為に隣の長養寺に移されていて、焼失を逃れたそうです。と言う事は約170年前の彩色。彫り物はそれ以前の物という事になります。
唐破風懸魚は鶴、向拝中備は龍です。柿葺の屋根を見ると雨ざらしにはなった事はなさそうです。
御本殿右面。胴羽目・腰羽目・浜床蹴込み・木階下など所狭しと彫り物が飾られています。
右面胴羽目は玉巵弾琴。
右面胴羽目の真横は格子の隙間が狭いまま固まっていたので全面を撮れず。色々試した結果、Macの標準ソフトを駆使して簡単な合成が出来ました。でも Photoshop には全然敵わないし、この画質だったら iPhoneカメラと変わらない気もしますが。。。
腰羽目は二十四孝から孟宗。真冬に筍が食べたいと言う母の為に、雪の中であるはずのない筍を探す孟宗。
脇障子には鳳凰乗りの梅福仙人がありました。
御本殿背面。
胴羽目は韓信の股潜り。街でチンピラに絡まれて、云われるままに股を潜る韓信。人々は笑ったが、後々、韓信は中国史で最も傑出した軍事家に数えられる事になりました。
腰羽目には西王母がありました。西王母の蟠桃園の桃を食すと不老長寿の命を得られると云われ、孫悟空はこの桃を食い尽くして天上界を追われる事になります。
御本殿左面真横の二重格子は完全に固まっていたので斜めから。
胴羽目は黄石公と張良。数々の嫌がらせの様な試練を乗り越えて黄石公から兵法書を授かる張良。
腰羽目は二十四孝から郭巨。母を養うために口減らしに子供を埋めようとして黄金の釜を発見、神様ありがとうございます♪ という場面。
脇障子は鶴仙人の黄鶴。費長房とも言います。
素晴らしい御本殿でした。
刺青師・龍元
087(2021.07.22)
コメント
onijiiです。
劣化した感じがいいですね!
何とも妖しい雰囲気が出てますね!!
生で見てみたいです!!!(笑)
馬頭方面回ってきました。暑かったです。
力神はいませんでしたが、鬼板の鬼面に
4ヶ所で遭遇。いい顔してました。(笑)
屋外の彩色は汚くなってしまいますが、覆屋内の古い彩色は良い感じに寂れますね。
調査ご苦労様です。
馬頭辺りは力神より鬼面ですか。
地域色があるものですね。