アメリカ放浪記 part2 コモ編(2)

ジェシーメイと若き日の私
ジェシーメイと若き日の私
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

アメリカ放浪記 Part2 コモ編(1)からの続き

一緒に飲みながら、件のCDのジャケットを見せて私がコモにやって来た訳を話すと、シャーマンは言いました。
「ナポレオン・ストリックランドか… この人知ってるよ。近くに住んでる。明日連れていってあげるよ」

本当に運命っていうのはあるものなのでしょうか。もし私があの時、馬を見たいと言わずにバス停に直行していたらどうなっていたでしょう?ガソリンスタンドで別の人が車に乗せてくれていたら?トレーラーを断ってタクシーに乗っていたら?トレーラーの運転手が話し掛けて来なかったら?あのベンチに座っていなかったら?CDのクレジットにコモという文字を発見していなかったら?運命とは偶然の積み重ねです。

次の日シャーマンは、ナポレオン・ストリックランドというブルースハープ奏者の家に連れて行ってくれました。当時ナポレオンは既に引退して娘さんと一緒に暮らしていて、CDに入っていた曲は数十年前の録音だと言う事でした。車イスに座っていたナポレオンは最後まで一言も喋りませんでしたが、娘さんが
「お父さんの曲を聴いてわざわざ日本から訪ねて来て下さったのよ」
と耳に囁くと突然涙を流して、目の前で本物のブルースハープを吹いてくれました。まさにこの瞬間の為に旅をして来たのです。この旅に費やした労力が報われます。

30年前は携帯もデジカメも無く、あまりカメラを持ち歩かなかったから、この人と一緒の写真は残念ながら無い。


その日の晩、シャーマンは私を車に乗せて、とあるトレーラーハウスの前まで走り、
「スグに戻る」
と、私を残して車を降りて行きました。

遠くからは
「来てくれよ、頼むよ、10ドルやるから…」
と聞こえてきます。何やらシャーマンは嫌がる人を無理やり連れて来ようとしている様でした。

「アンタ誰だい?」
しばらくしてシャーマンと一緒に車に乗って来たのは、ギターケースを抱えた黒人のオバさんでした。
「ああ…どうも…今晩は… 日本から来ました… シャーマンのウチに泊まってます…」
私はしどろもどろになりながら答えました。
「フン」

オバさんの名前はジェシー・メイ。シカゴでブルースを演っていた事もあるとの事でした。シャーマンの家で彼女は険悪な雰囲気でしたが、酒が進むウチに次第に陽気になって来て、彼女とシャーマンと私はギターを弾いたり歌ったりしてその夜を過ごしました。

ジェシーメイと若き日の私
ジェシーメイと若き日の私

後日、日本に帰って来てからブルース専門のCDショップで彼女のCDを発見した時には、カミナリに打たれた様な衝撃でした。彼女は実は有名なミシシッピブルースのシンガー・ギタリストでした。

泥臭くトランシーなミシシッピ・ヒル・カントリー・ブルースでカルト的人気を集めるウーマンズ・ブルース・シンガー Jessie Mae Hemphill。祖父はチョクトーインディアンで、ファイフバンドで有名な Sid Hemphill。

2人共コモ出身で、ナポレオン・ストリックランドは2001年、ジェシー・メイは2006年に亡くなっています。合掌。

今ネットで調べると、コモにはデルタレコードというブルース専門レーベルの録音スタジオがあって、沢山の有名なブルースミュージシャンやプロデューサーが近所に住んでいたそうです。当時、ネットがあれば前もって知る事の出来た事も沢山ありますが、知らなかったからこそ体験出来た事も沢山あると思っています。

続く 

刺青師・龍元

コメント

タイトルとURLをコピーしました