令和七年三月中旬 大分県大分市の柞原八幡宮に参拝しました。
柞原八幡宮 其の五 の続きです。
彫刻が沢山あるので 少し変則的ですが番号を振ってあります。番号は44までですが 7・10・11・14には上下2点の彫刻があるので 計48点の大きな彫刻がある事になります。

今回は柞原八幡宮南大門の最終回です。37から43まで紹介します。全て日本図柄です。
右袖廊内壁右側

37. 日本武尊の東征(草薙の剣)
剣が控えめに彫られていますが 背後に野火があるので これは日本武尊の東征だと思います。

景行天皇に東方征伐を命じられた日本武尊は 相武国(現静岡県)で欺かれ 野火攻めに遭いました。そこで天叢雲剣で草を薙ぎ払い 火打ち石で向かい火を起こして脱出します。

この事から天叢雲剣は別名・草薙剣とも呼ばれる様になった と云います。

38. 源頼光 大江山酒呑童子退治
一条天皇の時代 大江山に住む鬼 酒呑童子が京の人々をさらっては喰っていました。そこで帝は源頼光を討伐に向かわせます。

頼光は山伏を装い 鬼の居城を訪ねて一夜の宿を取らせて欲しいと頼みました。

その晩 催された宴で 頼光は鬼たちが酔い潰れたところを襲撃。酒呑童子の首をはねます。

酒呑童子の生首は物凄い形相で「騙し討ちとは この卑怯者め!」と頼光の兜に食らいつき生き絶えました。

頼光は兜の下に「星兜」を被っていたので事無きを得た と云います。

彫刻の頼光は兜を被ってないので やられてしまうかも知れませんが。
右袖廊外壁

39. 武内宿禰 宝珠を得る
龍宮には潮の干満を支配する宝珠があると伝わります。

伝承によると 朝鮮出兵の神託を受けた神功皇后の いわゆる三韓征伐の時 安曇磯良が龍宮に行き その宝珠を譲り受けて神功皇后に献上しました。

大臣の武内宿禰はこの宝珠を船上より海に投げ入れて潮を操り 神功皇后の三韓征討を成功させた と云います。

40. 豊臣秀吉
これは初めましての彫刻 豊臣秀吉です。

天下人の秀吉を知らない人はいないと思いますが 秀吉と言って思い浮かぶ絵はあまり無いですね。

秀吉と船なので これは南蛮船か 朝鮮出兵の場面 という所でしょうか?

左袖廊内壁

41. 平重盛
平重盛は清盛の嫡男ですね。

清盛が後白河法皇に軍を差し向けようとしているのを重盛が涙ながらに諌める「重盛諫言」の場面なら秋田県美郷町の日吉神社胴羽目↓で見た事があります。

が こちらはどういう場面なのか分かりません。

追記(2025.04.08)葛飾戴斗の英雄図会によく似た絵があります。小心さんにご教示いただきました。詳しくはコメント欄をご覧ください。
重盛より こちらの従者に興味が湧いてしまいます。

42. 道臣命
道臣命というのは神武東征の時に 熊野から菟田への道を開いた人物です。

記紀では 道臣命は三本足の八咫烏に先導された事になってますが この彫刻の二羽の鳥は八咫烏には見えませんね。

普通の鳥と道臣命の伝説もあるのかも知れません。

左袖廊外壁

43. 六孫王源経基
六孫王源経基。清和源氏中高の祖で多田満仲の父です。

浮世絵などでは 鹿を射る場面を描いた物を見ますが これはただ立っているだけ。

もう少し物語性のある場面なら面白味もあったのでは と思う物が続いてしまいましたが 最後は真打ち登場!
44. 俵藤太藤原秀郷 大百足退治
俵(田原)藤太藤原秀郷の大百足退治です。藤太は琵琶湖の龍女に「一族が三上山の大百足に苦しめられている」と百足退治を懇願されました。

三上山には山を七巻きするほどの とてつもない大百足がいたのです。

藤太が強弓をつがえて射掛けると一の矢 二の矢は跳ね返され 三本目の矢に唾をつけて射ると百足を倒す事が出来ました。

藤太は謝礼に宝物を贈られ 龍宮に招かれた と云います。
ここの彫り物には 板に画題が彫り込まれていました。板によって 彫師が違うのでしょうから 上手い下手は当然あるのですが やはり何より画題の選択が1番重要な要素ですね。
今までも大作揃いの神社仏閣に参拝して来ましたが ここは数からして日本一かも知れません。
もう少し有名になっても良いんじゃないかと思いましたが あまり有名になっちゃうと混んでしまうし イタズラも増えてしまうかも。。。と考えると やっぱり今のままが良いのかも とも思います。
でも きっと知人友人には言いふらしてしまいます。
刺青師・龍元
022-06(2025.04.07)
コメント
onijiiです。
うーん素晴らしい!
大感動のシリーズでした!!
ここに身を置いて、至福の時を
過ごしたいです!!!(笑)
仕事を再開したので、リタイア
したら必ず行こうと思います。
紹介ありがとうございます。
電車で10時間以上、車で14時間以上掛かりますからね。飛行機は大分の近くに飛んでるんですかね。
私は博多で一泊、大分で一泊、それから長崎に行きました。時間もお金も掛かりますね。
せめて千葉くらいの距離にあれば、足繁く通えるんですけどね。
https://kotsukotsu-koten.hatenadiary.jp/entry/2023/10/24/044945
平重盛の彫刻、葛飾戴斗の英雄図会によく似た絵があります。
「平家物語」で重盛が参詣したのは熊野本宮証誠殿。
後ろの滝は那智の滝でしょうか。那智の滝と熊野本宮大社は結構離れてると
思うのですが(熊野那智大社と那智の滝なら近いんですけどね)。
熊野っぽいから滝を入れたんでしょうかねー。
ああ、これは滝なんですね。
滝が下地というか、余白に見えてしまって、全く見えてませんでした。
葛飾戴斗の英雄図会の重盛が元絵という事で間違いなさそうですね。