仕方ないのかも知れないけど残念な [吉井八幡宮] 群馬県

海老虹梁の龍 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

令和三年一月、群馬県高崎市の吉井八幡宮に参拝しました。

吉井八幡宮鳥居

創建年不詳
弘化三年(1848)本殿造作
彫師 勘蔵
御祭神 品陀和氣命ほむだわけのみこと

彫師の勘蔵というのは、同じく高崎市の倉賀野神社も手がけている様です。

吉井八幡宮拝殿

拝殿向拝。

拝殿向拝

中備は龍。細長です。

向拝の龍

御本殿

最近建て替えられたらしい覆屋にはガラス窓があります。

吉井八幡宮御本殿覆屋

御本殿右面。修繕済みの御本殿は年季が入っていて貫禄があります。

吉井八幡宮御本殿

蝦虹梁を見た感じでは、拝殿向拝の龍と同じ人の様です。細めの龍。

海老虹梁の龍

胴羽目は黄石公と張良。

黄石公と張良

脇障子には人物が3人。此処の所ずーっと三国志演義を読んでいるので、人物3人を見るとどれも劉備・関羽・張飛に見えてしまいます。

吉井八幡宮御本殿脇障子

皆さんはもうお気づきと思いますが、そうです、背面(西面)と左面(南面)の窓にはブラインドが取り付けてあります。

吉井八幡宮御本殿

背面に廻ってみると見事にブラインドが降ろされ、羽根も閉じてあって、彫り物が見えません。

背面窓

左面に廻ってみると、こちらは羽根が開いてあって、彫り物を見る事は一応出来ました。

吉井八幡宮御本殿

どうやらこれは韓信の股くぐり。韓信が若い頃、街でチンピラに絡まれたが争わず大人しく言われるままに股を潜ったが、のちに大成した。大志のある人間は目先の小事に争わない喩え、だそうです。

韓信の股くぐり

脇障子。ムム、こちらにこそ長髭の関羽みたいのが居るではありませんか。

吉井八幡宮御本殿脇障子

そう思って見るとその上が不自然に空いています。もう1人居たのでは?劉備?関羽の横に居るのは張飛?でもそうすると右側脇障子の3人は誰なんだ?という話になるので、多分左右とも三国志とは関係ないのでしょう。

7人だったら七賢の可能性、4人なら商山四皓しょうざんしこうの可能性ありですが、3+2(3)=5人(6人)なのでこれは何だか分かりません。

令和三年六月、ブラインドが開いている事もあるのでは?と思って再訪しました。残念ながら、今回も左面背面ともブラインドが降りています。

吉井八幡宮御本殿

裏へ廻ってみると、背面のブラインドの羽がやや開いていました。応神天皇を抱く武内宿禰神功皇后が見えます。

応神天皇を抱く武内宿禰と神功皇后と竜宮の使いと宝珠

てっきり応神天皇誕生の場面かと思いましたが、下には魚を頭につけた竜宮の使いと宝珠があります。

応神天皇を抱く武内宿禰と竜宮の使いと宝珠

あれ?

竜宮から授かった干珠と満珠を使って三韓征伐をして、その間神功皇后は石を腰に括り付け出産を堪えて、凱旋帰国してから応神天皇を出産、という流れだったと思うのですが。。。

まあ、三韓征伐の話には色々なバージョンがある様ですから、時系列の違う伝説もあるのかも知れません。

いつもブログ記事は、PCで写真をアップして、記事は出先などでタブレットで編集、タブレットは見え方が違ったりするし、知らずにタッチパネルに触れてしまう事も有るので、PCで最終確認してアップします。

昨晩、家に帰ってPCを起動したらOSを更新しろと出たので更新したら、PCはそのまま動かなくなりました。

データは自動でバックアップを取ってある筈だけど、タイムマシンを確認したのは1年以上前。大丈夫だろうか?動かなくなったPCからデータを取り出すソフトウェアも有るみたいですが。。。

という訳で今回の記事まではサーバーに上げてあったので更新が出来ました。見え方が崩れてる可能性も有りますが、ご了承ください。

刺青師・龍元

080(2021.06.28)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    うーん、愛好家泣かせですね。
    見事な彫刻だけに何とも消化不良・・・。

    保存のためなので仕方がないですが、
    ブラインドは開けてくださいませ。
    お願いします。(笑)

    自分のPCも先日故障しました。
    オンチなので専門家呼びました。(笑)

    • 実は4月にも参拝して撃沈したんですよね。
      まあ、今回一応見る事は出来たので、これで満足です。

      PCはグーグル先生に聞きながら色々やってますが、未だ復旧しません。
      こりゃ修理に出すしかないのか、って感じです。

  2. 教団 より:

    こんにちは、Kyoです。

    Shin-Zさんのブログ記事で脇障子を確認しました。
    https://ameblo.jp/tora-hammill/entry-12626641127.html

    左面の脇障子は龍元さんが予想された通り「関羽」で間違いありません!構図と容姿より右の人物は関羽の従者である周倉ですね。かつては青龍刀を手にしていたのでしょうが、部材の欠落により微妙なポージングになってしまってますね…

    反対側の脇障子の3人は判断材料がないため、私にも分かりませんでした。
    お力になれずすいません。

    • なるほど、これは周倉ですか。川越氷川神社で周倉を見て以来、気になっております。

      やはり関羽なんですね。ありがとう御座います。

      去年の今頃は三国志の彫り物なんてチンプンカンプンでしたが、本を読むと見え方が違って来ますね。今は村上知行を読んでいますが、孔明亡き後の話のスジを理解するのに苦戦しております。

      • 教団 より:

        こんにちは、Kyoです。

        周倉は関羽の従者として青龍刀を持って侍っている人物です。例えば関羽を祀る関帝廟(日本では横濱「関帝廟」や神戸「関帝廟」などがあります)では、関羽の息子の関平とともに、関羽の左右に侍り、一緒にお祀りされています。

        少し話題が反れましたが、日本でも関羽と周倉が一緒に描かれることが多く、例えば奉納絵馬や絵画などでも見ることが出来ます。

        奉納絵馬になりますが以下にその作例を挙げておきますので、もしよければご覧ください。
        ・厳島神社/豊国神社(千畳閣)(2)
        https://kyoudan.hatenablog.jp/entry/20200912/1599890400

        ・瀧尾神社
        https://kyoudan.hatenablog.jp/entry/20210327/1616811542

        ・御香宮神社
        https://kyoudan.hatenablog.jp/entry/20210612/1623476116

        村上訳『三国志演義』を読まれているんですか!口語調で独特な翻訳がされていて面白いですよね。やはり諸葛亮の死後(三国末)は、物語を彩る英雄たちがどんどん退場し、次世代の人物たちが中心に活躍しますので、どうしても難しいかと思います。
        やはり三国志ファンでも諸葛亮の死後は興味のない方や知らない方が多いですよ。最近だと『軍師連盟』という司馬懿を主人公に三国末期までを描いたドラマが登場しましたので、もし興味があればチェックしてみてくださいませ。

        長文失礼いたしました。

タイトルとURLをコピーしました