令和三年六月、埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社に参拝しました。
ここは平成三十一年にも参拝しましたが、御幣が置いてあって見えない彫り物があったので、再訪しました。
彫師は飯田仙之助と伝えられます。
拝殿右側脇障子。黄石公と張良です。
「小僧!沓を落とした、拾って来い!」
「はい、どうぞ!」
「小僧‼︎履かせろ!」
「このジジィ、ぶっ飛ばしてやろうか…」と思いましたが、堪えて老人の言う通りにしました。
「お前、見どころがあるな、兵法書を授けてやろう、五日後の朝ここに来い」
張良が五日後の朝、来てみると老人は既に来ていました。
「小僧!目上の人間より遅く来るとは何事だ、五日後に出直して来い」
五日後、張良が日の出前に来て待っていると。。。続きは裏側へ。。。
「小僧、その謙虚さが大切じゃ、人に物を教わる時には謙虚な心を持たなくてはいかん」
張良は兵法を習得し、劉邦の軍師になりました、とさ。
左側の脇障子は三国志から趙雲救幼主。長坂の戦いの混戦の中、行方不明になった劉備の夫人と嫡子を探し当てた趙雲。
糜夫人に劉備の嫡子・阿斗を託され、押し寄せる曹操軍の中を単騎脱出します。
懐に抱えた阿斗(劉禅)。趙雲がこんなにして守り抜いたのに、後に成長して暗愚の帝になります。
いつも思いますが、曹操軍の武将は貫禄があります。
裏面。長坂の戦いの押し寄せる曹操軍だと思います。
案外楽しそうです。
駐車場の前には箭弓稲荷記念会館という建物があり、ちょっとした彫り物がありました。
兎ノ毛通には双龍。
中備には唐子の重陽(菊の節句)ですね。〜追記(2021.08.02)良く見ると菊ではなく梅だったので、これは梅に唐子でした 追記終わり〜
扉の上の小壁には川辺にしゃがむ老婆の彫り物。
良く見ると、洗い桶と川面を流れる桃があります。コレはもしかして「おばあさんは川へ洗濯に…」の桃太郎?それにしては桃が小さい。小さい桃バージョンもあるのかな?
〜追記(2021.08.02)小さな(と言うか通常の大きさの)桃がオリジナルの話だそうです。桃を食べて若返る回春バージョン桃太郎。Shin-Zさんにご教示いただきました。桃を食べて若返るといえば、西王母の蟠桃は食べると長生不老になれるとされますね。追記終わり〜
過去の写真を確認すると、記念会館の方は以前来た時にも写真を撮ってはいましたが、その時は何故か気にも留めなかった様です。
刺青師・龍元
092(2021.07.31)
コメント
onijiiです。
冒頭の「黄石公と張良」から注視させられました。
木の葉や人物の表情、構図。うーむ、素晴らしい!
彫りが精緻ですね!
セリフ通りの顔つきしてますね!!
接写で見ると、凄さが分かりますね!!!
ここは御本殿も凄いですが、やっぱり拝殿は直ぐそばに近寄れるのが良いですね。ノミ跡までハッキリと観察出来ます。
二年半前に行った時には、この良さには気が付きませんでしたね。
箭弓稲荷神社の脇障子はとても出来がよくて見応えがありますよね!
それにしてもよく撮れていてすごいです。
私もやはりデジイチを導入しないとダメかな(;´▽`A“
最後のお婆さんの彫刻は、元々の桃太郎の話だと思います。
昔は大きな桃から生まれたのではなく、桃を食べた二人が若返って、
その結果として子供が出来たという話だったらしいです。
子供たちから「なんで若返ると子供が出来るの?」という質問が多く、
困った大人たちが今の話に変えてしまったらしいですよ(笑)
ところで背面の一角霊獣の下の彫刻はご覧になりましたか?
ときがわ町の日枝神社にある子供を抱いた人が龍宮から宝珠を献上される場面の彫刻があります。武内宿禰だと言われたのですが、時系列からして納得出来ないんですよね。あと蟇股の小さな彫刻も題材不明なものがあるので、ぜひ龍元さんに教えて欲しいです。
Shin-Zさんはデジイチ使ってないのですか‼︎ 狭い所で良く撮れてるな〜とは思っていたんです。あれはコンデジですか?まさかスマホ?画像が凄く綺麗ですよね。
桃太郎はそんな話だったんですね〜。昔話が時代によって改変されるという事は良く聞きますね。
背面唐破風下の彫り物は武内宿禰なんだろうと思っています。高崎の吉井八幡宮でも、神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿禰が龍宮の宝珠を受け取ってますね。元の話を確認はしていませんが、八幡宮のは武内宿禰以外にないと思うので、そういう時系列の話が有るのだろうと推定しています。と云う訳で、ここも武内宿禰だろうと思っています。
蟇股は左面に王子喬、右面は琴と菊が有るので無弦琴を奏でる陶淵明、背面だったかな?は西王母だと思います。すいません、今回は写真撮ってないので位置がうろ覚えです。ひょっとすると数も違うかも知れません。
デジカメはSONYのRX100でスマホはGoogleピクセルを使っています。
スマホは今年二月に買い替えて、特に期待はしていなかったのですが、
簡単にキレイに撮れるので、最近の記事はスマホ画像ばかりです。
デジカメを使うのはズームが必要な時だけになってしまいました。
やはり武内宿禰なのですね!
抱いているのが人形浄瑠璃の人形のように思えたので、
その線から散々調べてみましたが、何もヒットせずでした(^▽^;)
龍元さんが仰るのなら、私も武内宿禰で納得することにします。
蟇股の彫刻で不明なのは二つだけだったと思いますので、
陶淵明と西王母というお答えだけで十分だと思います。
教えていただきありがとうございました♪
私も気になったので色々探しましたが、やっぱり元の話は見つかりませんでした。
でも、青森のねぶたの「武内宿禰 宝珠を得る」という山車には応神天皇らしき子供が肩に乗っていますから、いよいよそういう時系列の話が有るのだと確信に近付いて来ています。
http://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2014nigumi.html