刺青図柄の意味 釣鐘弁慶

釣鐘弁慶 武者絵
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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俵藤太秀郷が大ムカデを退治した際、龍宮から財宝が贈られたが、その中に釣鐘があった。秀郷はその釣鐘を現在の滋賀県大津市にある三井寺(長等山園城寺)に寄進した。

俵藤太

三井寺というのは、比叡山の延暦寺と共に天台宗であるが、仏教解釈の違いから別れて敵対し、両者の争いはついに武力にまで及んでいた。

弁慶の引き摺り鐘伝説

秀郷が大ムカデを退治してから数百年経った頃、延暦寺が三井寺に攻め込み、武蔵坊弁慶という僧兵が秀郷の釣鐘を奪い、比叡山の延暦寺まで担ぎ上げた。

釣鐘弁慶
釣鐘を比叡山に担ぎあげる弁慶

弁慶がその鐘を撞いてみると
「去のう、いのう(帰りたい、帰りたい)」
と響いた。

怒った弁慶は
「帰りたきゃ帰れ!」
とその鐘を谷底へ投げ捨ててしまった。

その後、鐘は谷底に打ち捨ててあったが、三井寺と延暦寺が和解した時に三井寺に戻された。

その後、寺に良くない事が起きる時には、釣鐘は汗をかき、撞いても鳴らず、良い事が起きる時には自然に鳴り出したという。

現在、三井寺の霊鐘堂に奉安されている釣鐘には、弁慶が引き摺った時についたと言われる跡が残されている。

因みに三井寺というのは頼豪阿闍梨の鉄鼠伝説でも有名。

刺青師・龍元

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