令和五年一月中旬 群馬県榛東村の宿稲荷神社に再訪しました。龍だけを紹介した其の一からの続きです。
天文十年(1541)創建
元治元年(1864)本殿拝殿築造
御祭神 宇迦之御魂神 波邇夜麻姫命
本殿拝殿彫師 花輪 三代目石原常八と一門 沼田 関左膳正義 と推定
拝殿
リーゼントにキメた須佐之男命
足名椎命と手名椎命の八番目の娘 櫛名田比売を食べに来た八岐大蛇と対決します。
神話では 大蛇が酔い潰れて寝ているスキに退治します。
女装して油断させ熊襲を征伐する日本武尊や 酒呑童子を酔い潰して退治して「卑怯者め」と罵られる源頼光など 武士道精神に悖るのでは?と思う話が多い気がします。
唐破風下は 稲荷らしく狐。
左側脇障子は獅子の滝行。
頭の上から見る獅子は 絵ではあまり見ない構図ですが 彫り物ではあらゆる角度から確認出来るので非常に勉強になります。
右側脇障子は獅子の子落とし。
御本殿
胴羽目は高砂。
「お前百(掃く)まで わしゃ九十九まで(熊手)共に白髪の生えるまで」
箒と熊手は立て掛けてあります。
脇障子は狐の子育て。
背面です。
脇障子の裏側には 天宇受売命の彫刻がありました。程良いオカメ顔をしています。
胴羽目は三条小鍛冶宗近。
「宗近は勅命で御剣を打つ事になった。刀の鍛錬には自分と同等の力量の相槌が必要だが、相方を見付ける事が出来ずに困った宗近は稲荷明神に祈願した。
すると一人の少年が現れた。不思議な事に勅令の事を知っていて、宗近に力添えをすると言う。
言われるままに身支度をして礼拝をしていると、狐の精霊がやって来て相槌を務めると言う。先程の少年は稲荷明神の化身であったのである。
反対側の脇障子は猿田彦神です。なんか灰色のガンダルフみたい。
左面。
胴羽目は養老の滝伝説です。
「ある孝行息子が山で滝を見つけた。なめると酒。それを老父に飲ませると非常に喜んだ。この話を聞いた元正天皇は当地に行幸され、孝心にめでて孝子を美濃守に任じ、年号を養老と改めた。」
調べると元正天皇は女性なんですが、彫刻の天皇っぽい人はどう見ても男性。
今まで見て来たどの彫刻も男性なんですが、なぜでしょう?
この彫り物が彫られた時代は元正天皇は男って事になってたのか? それともこれは天皇ではないのかな?
→追記(2023.03.02)これは帝の勅使の様です。養老の滝はかなりの数の説話があり、雄略天皇が勅使を遣わすもの、元正天皇が勅使を遣わすもの、元正天皇が直接行幸するものなど多種多様です。一魁斎さんにご教示頂きました。詳しくはコメント欄をご覧ください。追記終わり〜
素晴らしい彫り物でした。
刺青師・龍元
025-02(2023.03.01)
コメント
更新お疲れ様です。
養老の滝の束帯姿の人物ですが、出典となる説話自体が複数ありまして、仮に能楽や謡曲の「養老」の方から引っ張ってきているのであれば元正天皇ではなく、更に古い時代に設定されており【雄略天皇の勅使】ということになります。
また、元禄8年(1695)刊行の「玉櫛笥」に収録された「養老の滝」では、元正天皇が検分のため勅使を遣わしますが、天皇自身は行幸はしていません。
なお、同社を含めた養老の滝の彫り物がある他の神社も造営時期は大体は近世後期ですが、少なくともその頃に天皇の性別が誤認されていたとは考えづらいので、元ネタがどちらであるにせよ、ここは普通に勅使であると考えた方が自然だと思われますが如何でしょうか。
参考⇒ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2014/pdf/no06_05.pdf
一魁斎さん おはようございます。
リンクありがとうございます。各説話の違いが表にまとめられ、非常にわかりやすくまとめられていました。
雄略天皇の勅使バージョンというのもあるのですね。また、養うのが老母だったり老父だったり両親だったり、発見したのが孝子の妻バージョンまであるとは驚きです。
色々なバージョンがあるとは思っていたので、私なりにググってみましたが、勅使というのは今まで見つかりませんでした。
やはり日本文化は深いですね。大変勉強になります。ありがとうございました。