令和三年九月中旬、さいたま市岩槻区の冨士浅間神社に参拝しました。
創建年不詳
明治十二年(1879)本殿再建
御祭神 木花咲耶姫命
彫師 山田弥吉
裏へ廻ります。ここも御本殿から透塀まで届く大きな屋根が架けられています。覆屋ではないのは、御本殿の屋根が銅葺きで耐久性が高いという事があるのだと思います。
立派な御本殿。灯籠からは線が延びているので、灯りをつける事ができるのでしょう。
向拝の龍。
御本殿身舎右側。立派な腰組です。
正面扉脇には錦鶏。
遠目には八幡太郎義家かと思いましたが、富士山があるので、これは頼朝の富士の巻狩りだと思います(多分)。
富士の巻狩りとは建久四年に頼朝が富士野で行った狩りの事で、約一ヶ月続き70万人の人が参加したと伝えられ、軍事演習の目的もあったと云われます。新田四郎の猪退治や、曽我兄弟の仇討ちなどの事件があったのですが、ここでは巻狩りを見物する頼朝だけ(なのかな?う〜ん、巻狩りの部分が無いと確信が持てませんね)。
これは!何でしょうか?服装や拝んだ手を見ると仏様の様ですが。。。
髪型を見ると髷を結っていてテッペンには髻があり、仏様の螺髪ではありません。
背面に廻ります。
これは民の竈門で間違い無いでしょう。
高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどはにぎはひにけり by 仁徳天皇
文雄さん、お願いしますね。
左面に廻ります。
こちらにも髷を結った大仏風の人!誰だろ?
左面胴羽目には宝珠を持った人が雲に乗っていました。誰だろ?
これが雲じゃなく亀だったら、安曇磯良とか龍神とかにしちゃいますが。。。
正面扉には獅子と宝鑰や小槌などの宝尽くし。
錦鶏です。
向拝中備の龍。
基礎には「彫工 山田弥吉」と彫ってありました。山田弥吉は向山不動堂や膝子八幡神社の御本殿を彫った人ですね。明治十二年というと、弥吉35歳頃。この人は49歳で亡くなっています。
謎の多い彫り物でした。今後の課題にしたいと思います。
刺青師・龍元
121(2021.10.02)
コメント
onijiiです。
縦サイズが半分の横長の胴羽目でしたね。
珍しい形でした。
明治12年というと、胴羽目彫刻の終末期
ですね。
廃仏毀釈の影響を受けているでしょうね。
割合近い地域なので、今後は埼玉東部で
力神探しをやろうと思ってます。(笑)
廃仏毀釈についての本を読んだ事がありますが、なかなか激しかった様ですね。
この頃からでしょうか、「質実剛健を旨とすべし」なんて風潮になって行った様ですね。
埼玉東部ですか。ご苦労様です。
発見が有りましたらよろしくお願いします
m(__)m