刺青図柄の意味 遠藤盛遠 (文覚上人) 「恋塚」

盛遠 武者絵
月明かりの下で首を確認して愕然とする盛遠
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

遠藤盛遠 (えんどうもりとお)

1139-1203 平安末期から鎌倉時代の武士
後の文覚上人

盛遠は親友・源渡 (みなもとのわたる) の妻、袈裟御前(けさごぜん)に恋をしてしまう。
「私は夫のある身です」
と袈裟に拒絶されるが、恋に狂った盛遠は手が付けられなかった。
「そなたの母を殺し、我も腹を切る」
脅迫混じりに詰め寄る盛遠に困惑した袈裟はついに言った。
「今宵、夫には酒を飲ませて早めに寝る様に仕向けます、夫を亡き者にすればあなたの想いに沿えましょう」

その晩、盛遠は袈裟の指示通りに源渡の寝所に忍び込み、暗闇の中一撃で渡を殺害すると、首を切り落としてそれを抱えて一目散に逃げた。月明かりの下で首を確認した盛遠は愕然とする。盛遠の持っていた首は渡ではなく、袈裟の首であった。袈裟は渡の身代わりになったのである。 

 月明かりの下で首を確認して愕然とする盛遠
 月明かりの下で首を確認して愕然とする盛遠

盛遠は己の愚かさと罪深さをようやく悟り、袈裟の首を抱いて鞍馬の山を彷徨った果てに出家。名を文覚と改め、ひたすら修行の道へと身を投じる。

とまあ、こんな話です。江戸時代には歌舞伎や人形浄瑠璃の演目としても人気だった様ですし、芥川龍之介の「袈裟と盛遠」、手塚治虫の「火の鳥」など、この説話に取材した小説や映画、漫画、舞台など沢山のバージョンがあります。ここでは「源平盛衰記」を元にしました。

文覚上人は後に源頼朝に平家打倒の挙兵を決心させるなど、歴史上重要な役どころを演じます。刺青の図柄としては「文覚の滝行」なども人気ですね。因みに文覚が袈裟御前を弔う為に建立したと伝わる恋塚が京都の伏見区と南区にあるそうです。 

滝行をする文覚上人
滝行をする文覚上人

刺青師・龍元

コメント

タイトルとURLをコピーしました