令和二年六月吉日、埼玉県八潮市の大曽根八幡神社に参拝しました。ここは彫り物満載なので二回に分けて、今回は拝殿です。
御由緒
文亀二年(1502)勧請
明治二十八年(1895)本殿・拝殿改築
御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
彫師 後藤一重(佐藤藤太郎)
向拝
兎の毛通しには「飛龍」。中々西洋的な姿ですね。西洋では龍は悪魔の使いとされています。水引虹梁上には「玉巵弾琴」。
木鼻には一角の「獅子」。牡丹を咥えていますね。
「類聚雑要抄」という書物には、口を開けていて角が無いのが 獅子、口を閉じて角があるのが狛犬だと書いてあるので、これは狛犬型の獅子ですね。
持送りには火除けの「犀」。
右面
脇障子。「八幡太郎義家」でしょうか。ここが八幡神社だという以外に根拠はありませんが。
〜追記(2021.10.27)桜があるので義家で間違いなさそうです。義家は奥州下向の際に名古曽の関を越える時、山桜が散るのを見て「吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る やまざくらかな」と詠んだと伝えられます。追記終わり〜
↓相撲といえば、「野見宿禰と当麻蹴速」というのが彫り物では良くある様ですね。相撲の神様だそうです。
↓「日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六 矢作橋の出会い」。日吉丸が橋の上でへたばっていたら、通り掛かった小六に頭を蹴飛ばされたので、因縁をつけて家来にして貰うという話。
正面
これは分かりません。
勉強します。
↓これは「藤原保昌と盗賊袴垂」だと思います。保昌は説話によって頼光の鬼退治のメンバーに入っていたりいなかったり。平井保昌とも言います。笛を吹きながら歩く保昌の服を奪おうと、盗賊の袴垂が後をつけるが、保昌にスキが無く、とうとう保昌の家まで付いて行ってしまい、保昌が服を渡すと袴垂は逃げて行った、という話。この袴垂はのちに、刺青でも人気の妖術使い・袴垂保輔となります。
↓源頼朝の「鶴岡」。頼朝が由比ヶ浜で一千羽の鶴を放したという話で「鶴岡八幡宮放生会」とも言います。
左面
↓勉強します。
↓何でしょう。立っている人は榊を持っている様です。
うーん、「平服の八幡太郎義家」。ナンテね、分かりません。松には雪が積もっている様です。反対側の脇障子と対になっていると思います。勉強します。
ほとんどわかりませんでした。手強い神社です。次回は御本殿。御本殿は定番の彫り物が中心でした。
刺青師・龍元
122(2020.06.12)
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