令和三年群馬県太田市の生品神社に参拝しました。
一の鳥居と二の鳥居の間でフリーマーケットが開催されていました。
三の鳥居。落ち葉の絨毯が敷かれた参道が良い雰囲気です。
ここは新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて挙兵した場所です。
裏へ廻ります。
胴羽目はかなり傷んでんいます。
なんとか鶴と亀が残っています。
脇障子は昇り龍。
背面も似たような状況です。
鯉の滝登りみたいですが、元々ここにあった物ではない様な感じ。でも離れた所から見ると身舎の汚れと相まって山水画の様にも見えます。修復した人は画才があるのかも知れません。
当然ですが、左面もかなり傷みが激しいです。
こちらも鶴と亀だけが残っています。真ん中には何かがあった跡の様なシミがあります。
脇障子は降り龍。両側の脇障子の彫り物も構図から言って元々ここにあった物ではない様な感じですね。
諸行無常、もののあはれを感じます。
刺青師・龍元
163(2021.12.21)
コメント
onijiiです。
諸行無常・・・。
覆屋が無いせいか?痛みが激しいですね。
自分の実家は、新田義貞の戦没地の福井市
新田塚の直ぐ近くです。
こちらの神社では親近感を覚えました。(笑)
こうなってしまっては、もうどうにもならないですね。
地元が歴史上の有名人ゆかりの地だと良いですね。私が育った板橋区高島平は江戸末期の砲術家・高島秋帆ゆかりの地と小中学校で習いましたが、知ってる人は殆どいませんね。かつて、自殺の名所として全国にその名を轟かせました。