令和三年五月、埼玉県幸手市の幸宮神社に参拝しました。
文久三年(1863)本殿再建
彫師 武田猶之助芳房 和泉貞吉義秋 武田常八 後藤文五郎 清水金治郎
御祭神 誉田別命経津主神 大物主神 倉稲魂命 菅原道真公
向拝中備の龍。
裏へ廻ります。
彫り物満載の御本殿です。
右面胴羽目は三国志演義から三顧茅廬。いわゆる三顧の礼です。劉備玄徳が諸葛亮孔明を軍師に招く為に、家を訪ねて三回目でやっと在宅していたが、孔明はお昼寝中であった、という話。
座ったまま寝てるのか。。。
左の人物は劉備玄徳、チョット僕の中の劉備とはイメージが違います。中央は劉備の舎弟の関羽雲長、長い髭が自慢です。右は同じく舎弟の張飛翼徳と思われます。
張飛が持っている青龍偃月刀(薙刀のお化け)は本来は関羽の持ち物です。青龍偃月刀と長い髭は関羽のトレードマークですからね。細かい事の様ですが、持ち物は人物を特定するのに重要なアイテムです。
なんて、さも三国志に詳しいかの様に書いてますが、吉村英治版 三国志を4月に読み終えたばかり、今は村上知行版 完訳三国志を読んでいます。面白いです。
背面に廻ります。
背面胴羽目は二枚。
若林純の本によると源平一の谷の戦いだそうです。
一の谷の戦いと言えば、義経が断崖絶壁を馬で駆け下りて奇襲をかけた、鵯越の逆落しが有名ですが。。。
木の中に亡霊の様に潜む武士たち。これは何を表しているのでしょうか。。。
〜追記(2021.06.25)これ↑は頼朝の石橋山伏木隠れだと思います。寺社彫刻愛好家のShin-Zさんにご教示頂きました。詳しくは下のコメント欄をご覧ください。追記終わり〜
左面に廻ります。
左面胴羽目は呂尚と文王の邂逅。
優秀な人材に会える、とお告げがあったある日、 姫昌(文王)が川の畔を通りかかると、一人の男が釣りをしていた。尋ねると「天下を釣っている」と答える。よく見ると釣り糸の先の針は真っ直ぐだった。 昌は、この人こそ探し求めていた人だと、軍師として丁重に迎えることにした、という話。
まっすぐな針で魚釣りをするフリをして、王を釣る人。鼻が欠けてしまってます。
左右の大瓶束には力神さまがいました。
両側ともほぼ同じ形。吽形です。
縁下組物の間には農耕図。
亀腹のすぐ上の部分には鯉が彫ってありました。
見事な鯉です。
鯉が上手い人って案外少ない様に思います。
本には彫師の名前が五人載っていましたが、その出自・経歴はわかりませんでした。
刺青師・龍元
077(2021.06.20)
コメント
onijiiです。
以前、妻と権現堂の彼岸花を見に行った時に
立ち寄りました。
力神や四季農耕図を見つけて、大喜びしました。
こうして改めて見返してみると、素晴らしい
彫刻ですね!
また行きたくなりました。(笑)
彫りも深いし、構図の取り方も洗練されているし、かなりの熟練工の仕事でしょうね。
彫師についてはググってもここ以外には出てきませんでした。
一社作るのに年単位でかかる様ですから、一人の人が生涯で関わる社はそんなに多くはないでしょう。
となると、これだけ彫物がある訳ですから、彫師もたくさんいたと思われます。
埋もれた名工がいるのでしょうね。
こんばんは。
こちらの背面の彫刻、私も亡霊のようで気味が悪いと思いました。
題材が全くわからず、調べまくっていましたがわからずに諦めてすっかり忘れていました。龍元さんの記事が上がったので、ようやくすっきり出来るかと思ったのですが(笑)
改めて調べてみたところ、二つばかり候補を見付けました。
一つは浜松八幡宮にある雲立のクスの伝説です。三方ヶ原の戦いで武田にボロ負けした家康が楠の洞に隠れて逃げおおせたという話です。ただこれは浜松付近だけに伝わる話のようなので、楠の洞を見て後世に作られたものなのではないかと思いました。
もう一つは、源平の石橋山の戦いで平氏に敗れた頼朝が倒木の洞に隠れたという源平盛衰記に書かれているらしい話です。追手が洞に突っ込んだ弓が頼朝の鎧に当たって音がした瞬間、一羽の鳩が洞から飛び立ち、それを見た追手は「人がいれば鳩がいるはずがない。」と判断し立ち去ったという話のようです。彫刻には三羽の鳥が飛び立つ姿があり、隠れている木も枯れているように見えます。かなり近い線に思えますが、私には確定は出せません。
龍元さんはどう思われますか?
なるほど!
石橋山の戦いでググってみると、頼朝の石橋山伏木隠れという画題でヒットしますね。
全く同じ構図というのは見付かりませんでしたが、倒木に潜む武将と飛び立つ鳥、が描かれた絵がいくつも有る様ですので、それで間違いないのではないかと思います。
という事はこの2枚は別々の場面と考えた方が良さそうですね。
それにしても執念ですね!