令和五年十一月中旬 埼玉県加須市の八幡雷電合殿社に参拝しました。
ここは御室神社の境内社。神門をくぐって左手に進むと社殿があります。
覆屋と拝殿を兼ねた社殿の中には 立派な御本殿が鎮座していました。
左側脇障子の龍。背びれが三列に並んだタイプです。
破風入には飲んでも呑んでも酔わない不思議な生き物 猩々がありました。
向拝中備は龍です。
真っ赤な顔をした猩々。
ヘイ!ラーメンお待ち!
右側脇障子の龍。三列に並んだ背びれは 彫刻の他では北斎の龍で見かけます。
覆屋には ガラス窓+幅広鉄格子がグルリと回されています。
御本殿は胴羽目・腰羽目・脇障子・縁下持ち送りなどに 精巧な彫刻が施されていて とても贅沢な造りになっています。
胴羽目は武内宿禰の宝珠投擲。武内宿禰は記紀や八幡愚童訓などに表れる伝説の人物で 戦前の紙幣の肖像にもなっています。
龍宮よりもたらされた干珠と満珠を海に投げ入れて潮を操り 神功皇后の三韓征討を成功させます。
龍が一緒に描かれるのは珍です。
外れてしまった腰羽目には 波千鳥が彫られていました。
大瓶束には とぼけた表情の力神さま。
二間社なので胴羽目・腰羽目ともに二枚づつ。
胴羽目は神功皇后・武内宿禰 龍宮より宝珠を得る の場面です。
宝珠を献上しに来る人物が 貫禄のある人なら海神か安曇磯良 こんな感じなら龍宮の使者と勝手に決めつけています。
でも これは安曇磯良なのかも知れません。
武内宿禰。
神功皇后です。
彩色は古くなると汚く見えてしまうものですが ここまで廃れると良い感じだと思います。
左面に廻ります。
胴羽目は応神天皇誕生です。
神託に背いた仲哀天皇は祟られて命を落とし 神功皇后はお腹にその子を宿したまま 石をくくりつけ出産を遅らせて 新羅へ攻め込んで百済・高麗をも服属させます(三韓征伐)。
生まれたばかりの誉田別命を 我が子の様にあやす武内宿禰。
こちらの力神もとぼけた表情です。
この日の一社目。素晴らしい彫刻で感激しました。
刺青師・龍元
110(2023.11.30)
コメント
天気が良い日のガラスは 反射写り込み が大敵ですね、綺麗に撮れていますがご苦労されたのかと?お察しします&先ずはガラス拭き拭きでしたか(笑)
八幡系の神社の彫刻は八幡神話の所が多いですが、3面全部がそっち系は珍しいですね。
波が多く彫られており、波が得意系の彫師さんだったのですかね。
錺さん こんにちは
私は反射防止に黒いレフ板を使っていますが、この日は風がとても強くて大変でした。ガラスは、水拭きカラ拭き仕上げ拭きで社殿の周りを4周しましたよ。
本当に波だらけですね。波好きだったんでしょうね。