楠木正行(くすのきまさつら)
南北朝時代(1336-1392)の武将
楠正成の嫡男
生年不詳
幼名 多門丸
幼少の時、河内往生院などで学び武芸を身に付け、南朝の後村上天皇に仕えた。父の正成や末弟の正儀と並ぶ、南北朝時代の代表的名将。「大楠公」正成に対し「小楠公」と尊称される。
四条綴の戦いに敗れ、弟の正時と刺し違えて自害した。
伝説
桜井の別れ
太平記の名場面。死を覚悟した楠木正成は、「最後まで父上と共に」と懇願する数え11歳の嫡子・正行に「お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、いつの日か必ず朝敵を倒せ」と諭し、帝より賜った菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。
延元元年(1336年)正行の元に戦死した父の首級が届き、衝撃のあまり父の形見の短刀で自害しようとしたが、生母に諭され改心した。
多門丸の古狸退治
正行が吉野の皇居において夜毎現れる大入道の妖怪を切って捨てたところ、その正体は年を経た古狸であったという。
辞世の句
太平記では四条綴の戦いに赴く直前、吉野の如意輪寺の門扉に矢尻で辞世の句を彫ったと描写される。
「返らじと かねて思えば あづさ弓 なき数にいる 名をぞとどむる」
刺青師・龍元