令和四年 新年寺社彫刻巡礼の旅 十四社目、福島県白河市の新地山羽黒神社に参拝しました。
長い階段の先にはニノ鳥居が見えます。
ありゃりゃ、鳥居の先もまだ階段が続きます。。。。
登り切った所には「石段修理」の記念碑。
尾根伝いに続く参道。
まだまだ続きます。トレッキングシューズを履いて来て良かった。
さらに進んで、少し登り勾配になった道を行くと、どうやら見えて来ました。
ここまで10分ちょっと。初めて来ると、いつまで続くのか少し不安になる位の距離です。
参道の写真は帰り道に撮っているので、実際にここにたどり着いた時にはまだ雪がパラついていました。
あっさりとした拝殿の裏へ廻ります。
立派な御本殿がありました。
向拝の龍。
妙に頑丈そうな高欄です。
胴羽目は松に鷹。真ん中に隙間が出来てしまってますね。バチンと嵌めたくなります。
反対側の脇障子との兼ね合いから判断して、これは巣父。武骨な高欄で隠れてしまってますが、牛がいます。巣父は牛に水を飲ませに川へやって来たが、許由が耳を洗った川の水を牛に飲ませられない、と言って引き返します。せっかく来たのに牛は水を飲めずに可哀想。
背面に彫り物はありませんでした。
向拝の象と獅子の木鼻。象は大口を開けて笑っている様です。
胴羽目はこちらも鷹。
脇障子は、尭帝に帝の位を譲ると言われ、耳が穢れたと言って滝で耳を洗う潔癖症の許由。
麓の鳥居の横には白河藩主・松平定信の歌碑があり、立派な石柵で囲まれていました。というか、石柵が物凄い自己主張をしています。私は石柵に目を奪われて、歌碑の事はすっかり忘れてしまいました。
歌碑を盛り立てる筈の石柵なので、これは和歌三神だと思います。
その下には龍虎の彫り物。
脇には児島高徳の白桜十字詩です。流刑になった後醍醐天皇へのメッセージを漢詩に託して木の幹に刻む忠臣・児島高徳。
反対側。この人は誰でしょう?易者みたいな格好をしてます。。。児島高徳と対になるのだから、何か有名な説話があるのでしょうが、思い至りません。
この石柵は石工・小松寅吉の作で、この界隈に多くの狛犬を残しているそうです。この神社も社殿より狛犬や石柵で有名みたいですね。写真は撮りませんでしたが、灯籠にもすごい彫刻が施されていました。
刺青師・龍元
014(2022.01.26)
コメント
onijiiです。
長い参道ですね。
どうしてこんな山の上に?と思う神社が多数
ありますね。この趣味は体力が必要です。(笑)
パチンとしたくなる気持ち分かります。(笑)
こちらの石柵はチェックしてました。
いつの日か行きたいと思います。
寺社彫刻の宮彫師、鏝絵の左官、石造物の石工
など、昔の職人さんの技量は凄いですね。
山の中腹にある事も多いですが、簡単に登れる高さの山だったら「ええい!テッペンまで行ってしまえ!」って感じでしょうか。
石工の小松寅吉という人は相当有名な人の様ですね。Wikipediaに項目が立てられています。
元々、ここの狛犬や石灯籠は寅吉の作ですが、のちに建てられた歌碑は他所の工房です。石柵だけ発注された寅吉はわざと当て付けに歌碑より目立つ様に石柵を作ったのではないか、と言われている様です。
こういうエピソードを聞くと、江戸時代・明治時代の人の方が人間らしくて奔放な生き方をしていたんじゃないかと思えますね。